第二部 旧制度の「公」の世界
第三章 観客ーー見知らぬ人たちの集まり
「中産階級」とは社会での地位の梯子の中間にいる人を指すが、どのようにしてそこに達したかは示していない。
都市は見知らね人たち同士が出会いやすい環境である。しかしながら、「見知らぬ人」とは、二つの非常に異なった種類の人物像になりうる。
見知らぬ人とはよそ者と同義語となり、人々がアイデンティティの感覚を十分にもっていて、誰が自分たちに属し、誰がそうでないかを定める規則ができている所に現れるものである。
新しい階級の出現は、多くの人々がそれとは気づかずにお互いにますます類似していく見知らぬ人たちの環境をつくっていく。
つまり誰ひとりとしてある一定の種類の人物のための妥当な振舞いの規準が何であるのか本当に確信がもてない状況のなかで、とのように振る舞うことで信頼を喚起するかという問題である。
一つの解決方法は、出会いにさいしてすべての人々が根拠がなくとも「妥当」で「信じられる」ものとして扱うことに合意する振舞いを、人々が創りだし、借用し、模倣することである。この振舞いはそれぞれの個人的生活とは距離があり、したがって人々にお互いに何者であるかを明確にさせようと強いるものではない。これが生じるとき、公的な地理の誕生が近づいているのである。
誰が都市に来たか
人は雑多な大衆に対処するのに、どのような知識、過去の経験のどのような類似に訴えるのであろうか?
彼らはどこに住んだか
都市は結晶体に置き換えて考えられねばならないものだ。結晶体はそれを構成する物質がさらに多く導入されることに構造を再構成するものである。
お互いに観客である見知らぬ人たちは、それでも社会集団の階層性の構造が都市によって触られないままに残っていたなら、演技することの負担、当面の状況の枠内だけで信頼を呼び起こす必要の多くを回避したかもしれない。
階層制は見知らぬ人たちに対処するには不確定な規準となったがために、観客の問題が生じたのだった。
都市のブルジョワ階級の変化
人々が家族の絆を絶って都市に来たとき、家柄、つきあい、伝統は役に立たなかった。
『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦 高階悟/訳