mitsuhiro yamagiwa

2023-06-07

転化と定立

テーマ:notebook

f 自己顕示に悪が伴うならば、何故にこれがなされたか

 創造への意志は直接にはただ光の、かくしてまた善の、誕生への意志である。

 しからば神は、悪が自己顕示から少なくとも随伴的に出てくるであろうということを必然的に予見していたのであるから、なぜいっそ自己を顕示しない方がよいと考えなかったか。

 従って悪がないためには、神自身があってはならなかったであろう。

g 神は悪のうちにも働くか

 すなわち、神が悪を欲しなかったとしても、しかも罪人のうちに働きつづけて、彼に悪を遂行する力を与える、ということである。

 そしてそれは根底自身の牽引によって、統一に反対した次第に高まる緊張の状態に置かれ、遂には自己勦滅と最後の分裂に至るのである。

b 顕示の終極

 そもそも創造は何か窮極目的を有しているのであるか。

 すなわち、神は単に一の存在ではなくして一の生命であるから、という答えである。しかるにすべての生命は一つの運命をもち、苦悩や転化に支配されている

 存在は転化においてのみみずからを感得し得るものになる。存在のうちには勿論転化はない。存在のうちではむしろ存在自身が再び永遠として定立される。しかし対立を通しての実現においては必然的に一つの転化がある。古代におけるもろもろの密儀と精神的宗教のすべてに共通した、人間的に苦悩する神という概念なくしては、歴史全体は畢竟不可解である。

 光すなわち観念的原理は、闇い原理の永遠なる対立者として創造する言葉であり、この言葉は根底のうちに匿されている生命を非有から救い出して、これを潜勢から現勢にまで掲げる。言葉の上に精神が昇ってくる。精神は、闇い世界と光の世界とを結びつけ、かつ両原理を自己の実現と人格性のために従属せしめる、最初の存在者である。

 悪が働くことができたのは、そのうちにそれ自身にも意識されずに含まれていた善(濫用せられたる)によってである。

 現働性が、或いはそれのうちにおいて現働的たらんて努めているものが、不断に消尽される状態である。

 善は悪より分かれるために、また悪も善より分かれるために死ななければならない。

『人間的自由の本質』シェリング/著、西谷啓治/訳