mitsuhiro yamagiwa

2023-06-08

一個の全体?

テーマ:notebook

二 無底

a 無差別としての無底

すなわち、すべての根底の以前に、またすべての実存するものの以前に、従って総じてすべての二元性の以前に、一つの存在者がなければならぬ。これは無底(Urgrund)或いはむしろ無底(Ungrund)と呼ばれる以外になんと呼ばれ得よう。それはあらゆる対立に先行するものであるから、それらの対立はそのうちでは区別され得ずまたなんらか或る仕方で存在していることでもない。従って、それは両者の同一性としては言い表され得ない。それは両者の絶対的なる無差別としてのみ言い表わされ得る。

 無差別は対立の所産ではない、また対立がそのうちに潜在的に含まれているのでもない。しからずしてそれはすべての対立を離れたる独自の存在者であり、あらゆる対立はそれに当って砕ける。

 実在的なるものと観念的なるもの、闇と光、或いはそのほかの両原理の言い表わし方はどうであろうと、とにかくそれらは対立するものとしては、決して無底に述語されることはできない。

 「あれでもないーーこれでもない」〔Weder-Noch)から、すなわち無差別から、直接二元性が生じてくる。(この二元性は対立とは全く別なものである。)

b 愛としての無底

 根底の本質も実存するもののそれも、すべての根底の以前に先行するもの、従って端的に見られた絶対者、無底であり得るのみである。しかしこの無底がかかるものであるのは、それが二つの同様に永遠なる元初に分岐点することによってのほかにあり得ない。かく言うも、それが同時に両者であるというのではなくして、それがその各々のうちに同様にある。

 愛の秘義とは、各自が各自だけでも存在し得たであろうがしかもそうは存在しないで、他者なしには存在し得ない、というようなそういうものを結合することなのである。

 精神のうちでは、実存するものは実存への根底と一つである。

 しかし精神の上には元初的な無底がある。これはもはや無差別(無関心)ではなく、しかもまた両原理の同一性でもない。しからずして、一切に対して平等なる、しかも何ものによっても捉えられない普遍的な統一、一切から自由なしかも一切を貫いて働く恵み、一言にしていえば一切中一切である愛にほかならぬ。

 (1)各自が一個の全体ではなく全体の部分に過ぎないならば、愛はないであろう。各自が一個の全体であり、しかも他者なくしてはなくまたあり得ないという、まさにその故に愛があるのである。

『人間的自由の本質』シェリング/著、西谷啓治/訳