mitsuhiro yamagiwa

2023-05-25

解け得ないもの

テーマ:notebook

b 形式と本質との関係によりするもの

 積極的なるものは常に全体または統一である。これに対立するものは全体の分裂、諸力の不調和または失調である。分裂された全体のうちには、一致した全体のうちにあったと同じ諸要素がある。両者のうちの実質的なるものは同じものである。

 また一つ一つの音はそれだけでは不調和を形成しないのである。しかしまさにかの偽りの統一を説明するためには、或る積極的なものが必要である。

c 悪の根拠を感性に求めるもの

 あたかも善のうちに働くものが決して叡智的なあるいは光の原理それ自体ではなくして、我性と結合された、すなわち精神にまで高揚された、その原理であると同様に、悪は有限性の原理そのものだけから結果するものではなくして、中心との親和にもたらされた闇、或いは我性的な原理から結果する。

 それは精神ではなく、悟性ではなく、盲目的なる欲動でありまた欲望である。

 意識なきものと意識的なるものとは、獣的本能においては単に或る一定の仕方においてのみ結合されていて、その仕方もまさしくその故に不変なのである。

 人間が諸力の永遠なる紐帯を恣(ほしいまま)に引き裂き得るに反して、獣は決してその統一から踏み出ることはできない。

四 悪の現実性

a 悪の現実性の一般的根拠。悪しき根本存在者想定の排斥。根底の存在理由

 根底とは顕示への意味作用(ein Willen zur Offen-barung)にすぎない。しかしまさにこの顕示が存せんがために、根底は独自性を、従ってまた対立を、呼び起こさねばならないのである。

b 第二の創造と歴史の国。歴史の諸期

 人間に対する危険性を度外視してもしかもなお一般的な自然的嫌忌を催させるようなもろもろの現象は、どこからくるのであるか。すべての有機的存在者が解体に向かうということは、決して一つの根源的な必然とは考えられ得ない。生命を形成せるもろもろの力の結ぶ紐帯は、〔事実は解け得ぬものであるが〕その本性上からいえば、解け得ないものであることも同様にでき得るはずである。

 悪はしかしその結果を通してのみ自然のうちにみずからを告示するのであって、悪そのものがその直接なる顕現において発現してくるのは、自然の終極においてのみである。

 光の誕生は自然の国であるが、精神の誕生は歴史の国である。

 しかしこの自然根底が永遠にただ根本たるにとどまってそれ自身では存在しないと等しく、悪も決して現実化には到達し得ずして、単に根底としての役を務め、かくして、善がそこから善自身の力を以ってみずからを形成し出しつつ、みずからの根底によって神より独立し分離したものとなるためにーーしかもそれにおいて神が神自身を所有し認識するごときもの、また、かかるものとして(独立なるものとして)神のうちにあるものとなるためにーー役立つのである。

 しかし根底の本質は、自分ひとりでは決して真の完全なる統一を生産しえないものであるから、この荘厳がすべて解体する時がやってくる。

 なんとなれば、人格的なるもののみが人格的なるものを癒やし得るからであり、そして人間が再び神に帰らんがためには神が人間とならなければならないからである。神に対する根底の関係が再建されるとともに、初めて治癒(救済)の可能性もまた与えられる。

 また善と悪との間に戦いが宣せられて、今の時代の終りに至るまで続く争闘が始まり、そしてまさしくこの争闘のうちに、神が精神として、すなわち現勢的に〔真にactu〕現実的なるものとして、自己を顕示するのである。

『人間的自由の本質』シェリング/著、西谷啓治/訳