mitsuhiro yamagiwa

2024-02-20

現実と現状

テーマ:notebook

近代性を美学化する 

 実際にこれはとりわけアヴァンギャルドの芸術家に当てはまる。彼らはしばしば誤って、技術の進歩の前衛として行進する新しい技術世界の宣伝者とみなされる。

 しかしながら彼らは、進歩は非合理的で不条理であるという自分の信条を示すために、何か美化するもの、非機能化するものとしてのみ技術の近代性に興味を持っていた。

 デザインの目的は現実、現状を変えることであり、現実を改善することであり、より魅力的に使いやすくすることである。芸術は現実、現状をそのまま受け入れるように思われる。

 現代美術はわれわれの現代性を美術館の中に置く。なぜならば現代美術は現在の存在状態を改善しようとすらしないほど、その安定性を信じていないからである。現状を機能不全にすることで芸術はその来るべき革命的転覆をあらかじめ描き出す。

 しかしアート・アクティヴィズムはいっそうラディカルで革命的な政治の美学化の伝統を逃れることはできない。自分自身の失敗を認めることは、向上や修正の余地を残さない全体性において、来るべき現状の失敗を予告しあらかじめ描くこととして理解される。

 第一に、世界のより深い意味においては、自己矛盾的な実践のみが真実であるからだ。第二に、われわれの現代の世界では芸術のみが、われわれのすべての現在の欲望と希望の地平を超えた根本的な変化としての革命の可能性を指し示すからだ。

美学化と方向転換

 機能的なものから非機能的なものを作り、期待を裏切り、われわれがしばしば生しか見ないところに不可視の死の存在を示す。

 これが、近現代美術が不人気な理由である。それはまさに、芸術は事物がそうなると思われる通常の道に反して進むからである。われわれは皆われわれの文明は不平等に基づいているという事実に気づいているが、この不平等は上昇への移動によって、つまり人々に自分の適正や才能に気づかせることによって、正すことができると考えがちである。

 ボイスによれば、自然がもともとその人に人的資源、つまり創造的である能力を与えたから人は創造的なのである。だから芸術の実践は自然に基づいており、したがって生来の才能の不平等な配分に基づいているのである。

 モダンアートは生来の才能に抵抗して作られる。

 われわれが何もかも美学化される時代に生きていることは疑いがない。これはしばしばわれわれが歴史の終焉後の状態、もしくはさらなる歴史的行動を取ることを不可能にする、完全に枯渇した状態に到達したことのしるしとしてしばしば解釈されている。

 世界を美学化すると同時にその内側で行動することができる。

『流れの中で インターネット時代のアート』ボリス・グロイス/著、河村彩/訳