mitsuhiro yamagiwa

2022-01-04

思考された区別?

テーマ:notebook

A 自己意識の自立性と非自立性
支配と隷属

自己意識の確信とその相互性

 自己意識はさしあたり単純な自立的存在であり、いっさいの他のものをじぶんから排除することで自己自身とひとしい。

承認をめぐる生死を賭した闘争

 他者の実在は各人にとって、ひとつの他のものとしてあらわれ、それはみずからの外部に存在する。だから各人は、このようにじぶんがみずからの外部することを廃棄しなければならない。他であることとはさまざまなしかたで囚われ、存在している意識のことである。各人は、かくてみずから他であることを、純粋なじぶんに対する存在として、いいかえれば絶対的な否定として直観しなければならないのである。

B 自己意識の自由
ストア主義、懐疑主義、ならびに不孝な意識

 ーー思考にとって対象は、さまざまな表象や形態のなかで運動しているのではない。概念のうちで、すなわち〔意識からいったんは〕区別されて、自体的に存在するものにおいて運動しているのであるけれども、この自体的に存在するものは直接に意識に対して、なんらかじぶんから区別されたものではないのである。表象されたもの、形態化されたもの、存在するものは、そのものとして、意識とはことなった或る他のものであるという形式をそなえている。概念はたほう、同時に存在するものであって、この区別は、それが意識そのものにそくして存在するかぎりで、意識にとって一定の内容である。

 思考にあって、私は自由である。私はなんらかの他のもののうちに存在しているのではなく、端的に私自身のもとにとどまっているのであって、対象は、じぶんにとって実在でありながら、私がじぶんに対して存在することと分かちがたくひとつのありかたをしているからだ。だから概念のなかで展開される私の運動は、私自身における一箇の運動なのである。

ストア主義」の原理ーー主人と奴隷からのか解放

 すなわち、意識とは思考する存在者であって、なんらかのものが意識に対して実在的なありかたを有するとすれば、ことばをかえれば意識に対して真であり、善であるとするならそれはひとえに、意識がそこで思考する実体としてふるまうからにほかならない、というものである。
 多層的なしかたで、みずからのうちで区別されながらひろがってゆき、個別化し、また絡みあってゆくのが、生というものである。

 区別は、じぶん自身の意識が定立したものであろうと、もしくは他者の意識が定立したものであろうとかまわない。いずれにしてもそのような区別は、もはや実在的なありかたをそなえていない。むしろ実在的なありかたを有する区別はただ、思考された区別だけであって、いいかえれば〔私によって思考された区別である以上〕ただちに〈私〉からは区別されていないことになる区別にかぎられる。

ストア主義の限界ーー抽象的な自由

 むしろ〈私〉が実在であるのは、それが他の存在を、とはいえ思考された区別としてみずからのうちに有している場合である。

 自己意識の自由は、自然的に現にあるものに対しては無関心だから、その自由によってそれゆえこの現にあるものは〔自己意識と〕同様に手ばなされているのであって、そのかぎりで反省は二重の反省なのである。こういった思想における自由は、ひとえに純粋な思想のみをみずからの真のありかたとしているから、その真理には生の充実が欠落している。かくてここでは「自由」とはいっても、ただ自由の概念であるにすぎず、生き生きとした自由そのものではない。ここでいう自由にとっては、ただようやく思考一般が実在であるにすぎないからである。思考一般とはつまり形式そのものであり、そういった形式は事物の自立性から離脱して、じぶんのうちに引きこもってしまっているのだ。とはいえ個人については、それが行為するものであるかぎり、生き生きとしたものであることが呈示されなければならない。

 意識が内容を異他的な存在としては廃滅していることはたしかであって、それは意識が内容を思考しているからである。とはいえ概念は規定された概念であり、概念化がこのように規定されていることこそが異他的なものであって、その異他的なものを概念としてはみずからそなえているわけである。

 この思考する意識は、かくて抽象的な自由として規定されたことになる。そのような意識にあっては、だから、他であることの否定はいまだ不完全なものである。現にあるものからただじぶんのうちへ退引しただけでは、この意識は他のものの絶対的な否定であることをみずからにそくして完遂したわけではない。内容が意識にとってひたすら思想としてのみ妥当するのはたしかであるとはいえ、そのさい内容はまた規定された内容として妥当しているのであって、しかも同時に規定されたありかたそのものとして妥当しているのである。

『精神現象学 上 』G ・W・F・ヘーゲル/著、熊野純彦/訳より抜粋し流用。