mitsuhiro yamagiwa

2021-03-22

二重の相補的な機能

テーマ:notebook

  靴があるのは、靴屋という職業に従事している人々がいるからではなく、足を保護する必要があるからである。

芸術作品があるのは、芸術家たちがいるからではなく、人間がそのような創造を是が非にも必要としているからである。

芸術作品であるものと芸術作品でないものとをどのように決定できるのか。あなたの判断基準はどこにあり、それはどのように正当化されるのか。

 芸術作品という先決概念を用いることによって、あなたは問題となっていることについて速断してはいないか。

すべての問いは、その問いに与えられるであろう返答についての先行了解を絶対的に必要とする。
どんな哲学も空虚からは出発しない。すなわち、どんな哲学も一定の着想を必ず前提としており、哲学の役割は、先学問的な含蓄から学問的に論証された明確な主張へとわれわれを導くことにある。

 もう一つの難題もまったく些末ではない。或る作品の意味を規定することは、しばしば非常に困難をきわめるのであろう。というのも、われわれが今日見とれる多くの芸術的モニュメントは、それらがその内部にあり、またその真髄をそこから抜き出す世界、そういう世界の崩壊のあとに取り残されてきたものだからである。したがって何よりもまず、その世界を再建しなければならないだろう。これは、骨は折れるが不可能ではない課題である。

 ギリシアの神殿を例にとろう。まったく異なる二つの要素が一つとなって、あるがままの神殿の現実性をなしている。

 神殿は、各人ならびに万人の、誕生と死、勝利と敗北、快と苦にかかわっている。神殿はこれらの出来事のモニュメントである。

だからこそ、神殿は共同体と個人とにとって価値がある。

 モニュメントを時代とのあいだにはたえず交換が生じている。時代はモニュメントを築くかわりに、そのモニュメント自身の存在についての高まった意識を引き出す。作品は時代に借りを負っており、時代は作品を源泉としている。

 風景が芸術作品に貢献する一方、作品は対比や対照の妙によって、その風景を引き立て輝かせる。この世界のすべてのものは、暗い基底のうえに浮き出ることによってのみ、あるがままのものである。

 したがって芸術作品は、われわれを存在させる源泉としての大地へとわれわれの注意を向けさせると同時に、われわれがそのうちで存在している世界をわれわれのために創設し開示する。

 まず、作品は世界を開示し構成する。すなわち、世界は全意味であり、われわれの意識がそれによって育まれる「知的」空気だろということである。諸物が、用途を、その大きさや小ささを、その近さや遠さを獲得するのは、世界によってである。石や植物や動物は世界をもたない。それらは周囲のものから隠れた圧力を蒙りながらある。
 その反面、作品はその根を大地のうちに下ろしており、作品は大地を示そうと努める。というのも、作品は存在するために、石の量感(単に一定量の物質として理解された塊(マス)でけではなく)や、鉄の硬さや、光のきらめきや、色彩のあでやかさ、空の広大さや、音の響きや、語のもつ言葉の力を必要とするからである。

 われわれはそれらを大地から借りることしかできず、それらを大地から奪取することはできないだろう。

 作品が存在できるために、われわれはその作品が合理的には見通せないということに同意しなければならない。

 大地はその秘密が守られるところでのみ、つまり暗がりという余地が暴かれないままであるところでのみ、自身を開く、大地は隠れたままであることを望む。大地は本質的に自身を隠すもの(das wesenhaft sich Verschliessende[本質的に自身を閉ざすもの]である。

 芸術作品は、たがいに相容れない二つの要素のあいだのたえざる闘争に均衡を与える。それはすなわち、人間の世界と地下的要素とのあいだの闘争であり、人間の世界は、厳密な意味では合理的でないにもかかわらず、いかなる曖昧さ[=暗さ]も容認しないのに対して、地下的要素はその夜のうちに一切を吸収し尽くそうと努める。世界と大地とは、作品のうちでたがいに引き裂き合い、たがいに呼び合う。というのも、影なしに光はなく、光なしに影はないからである。

 世界は「存在者を全体において規定する」。

『マルティン・ハイデガーの哲学 – 第17章 美学』アルフォンス・ド・ヴァーレンス/ 著、峰尾公也 / 訳より抜粋し、流用。
 

 ジャン=クロード・レーベンシュテインは重要な論文「芸術の空間」において、美術館がその比較的最近の発端以来果たしてきた、何を《芸術》と見做すかを決定する機能について論じている。「美術館というものは、二重の、相補的な機能をもっている。つまりそこに含まないすべてのものを排除すること、そしてこの排除機能によって、我々が芸術という語によって何を意味するかを決定するということである。芸術の概念は、まさにその定義のためにこしらえた空間が、それを収容し始めたとき、深い変形を被ったといっても、事態を誇張していることにはならないだろう。」

『オリジナリティと反復 ロザリンド・クラウス美術評論集』ロザリンド・E・クラウス/ 著、小西信之 / 訳より抜粋し、流用。