第2章 法律-の-力
2-1
例外状態は、規範を停止することで、「決定という特殊に法律学的な形態要素を絶対の純粋さにおいて開示する」。規範と決定という二つの基本要素は、こうしてそれぞれの自律性を示すのだ。「通常の場合には決定という自律的要素が最小限に抑えられうるのとまったく同様に、例外の場合には規範が無と化す。それでもなお、例外の場合も法律学的認識の対象でありつづける。それは、両要素とも、すなわち規範も決定も、法律学的なものの枠内にとどまっているからである」
例外状態というのは、外でも内でもないひとつの空間(規範の無化と停止に対応する空間)を包含し補足すること。
法秩序の外にあり、しかしまた法秩序に属している。これこそ例外状態の位相幾何学的な構造である。
2-2
例外状態というのは、形式的効力の最小限が現実的適用の最大限と合致し、その逆もまた真であるような、法的緊張の場なのだ。こうした極限的な地帯においても、いや、まさにそうした地帯のおかげで、法の二つの要素はそれらの内的な結束力を示すのである。
一般的に、言語や法のみならず、すべての社会制度は、現実的なものへ直接に言及するなかで遂行される具体的な実践を脱意味論化したり停止したりすることをつうじて形成されるのだと言うことができる。
第3章 ユースティウム
3-1
「ユースティウム」という言葉はーー厳密にいえば「夏至」と同様の意味あいで作りあげられたものであってーー字義どおりには「法の停止」を意味している。
3-5
しかしながら、ユースティティウムが続いているかぎりは、それらの行動は絶対的に決定不可能であるのであって、それらは法執行的な行為であるのか、それとも法侵犯的な行為であるのか、究極的には、それらは人間的行為であるのか、動物的行為であるのか。はたまた神的行為であるのか、それらの性質を定義することは、法の領域の外にあるのである。
理論の本質的な任務は、例外状態が法的な性質のものであるかいなかを明らかにすることだけではなく、むしろ例外状態と法との関係の意味、場所、様態を定義することなのである。
第4章 空白をめぐる巨人族の戦い
4-4
権力と能力とのあいだには、いかなる決定も埋めることのできない裂け目が口を開けているのだ。
4-7
ある存在の純粋さはけっして無条件的かつ絶対的なものではありません。それはつねにある条件に従属しているのです。この条件は、その純粋さが問題となる存在が何であるかに応じて異なります。しかし、存在それ自身のうちに潜んでいることはけっしてありません。言葉を変えれば、あらゆる(有限の)存在の純粋さは、その存在自体に依存しているのではけっしてないのです(…)。自然にとっては、自然の外部に存する純粋さのの条件とは人間の言語活動にほかなりません」。
暴力の批判は、暴力をそれが自ら手段となって追求する目的との関連で判定するのではなく、その判定基準を「手段が追求する目的には目をやることなく、手段そのものの圏内で区別をつける点に」求めるのである。
4-8
カフカのもっともカフカらしい振る舞いは、ショーレムが考えているように、もはや意味をもたない法律を遵守した点にあるのではなくて、法律は法律であることをやめて、あらゆる点で生活と区別がつかないものになってしまうということを示した点にあるのだ。
カフカの作品の登場人物たちはーーそしてこれこそが彼らがわたしたちの興味を引く理由なのだがーー、例外状態における法のこの幽霊的な形象と関係を取り結んでおり、各人がそれぞれの戦略にしたがって、それを「勉学」し、不活性化し、それでもって「戯れ」ようとしているのである。
『例外状態』ジョルジョ アガンベン/著、上村 忠男・中村 勝己/訳より抜粋し流用。