mitsuhiro yamagiwa

2022-12-01

外的は公敵?

テーマ:notebook

第5章 祝祭・服装・アノミー

5-1

「すべての社会はカオスと対向するかたちで構築されてきたのだった。アノミーの恐怖の恒常的な可能性は、秩序の危うさを覆い隠している正当化作用が崩壊したり脅かされたりするたびに、現実的なものとなる」のである。

5-2

「皇帝たちの葬儀には、動員の記憶が生き残っている (…)。葬祭の儀式を一種の全体的動員のうちに繰りこみ、さまざまな世俗の仕事や通常の政治生活を停止することによって、ユースティウムの宣言は、ひとりの人間の死を民族的なカタストロフィーへと、各人が好むと好まざるとにかかわらず巻きこまれるひとつのドラマへと変容させてしまおうとするのだった」。

「例外的な諸手段は消失してしまった。というのも、それらは通常の状態になっまてしまったからである」(Nissen)。

5-3

「正しいものは適法的であり、正しいものの原因となった主権者は生きた法律である」

主権者は、生きた法律であるかぎりで、根底においては非-法律的な存在である。ここでも例外状態は、法律のーー秘められた、そしてより本来的なーー生命なのだ。

5-4

 法律は、あくまでもそれ自体が例外状態において生ならびに生けるカオスになるという条件のもとで、カオスと生に適用されるのである。そしておそらくはいまこの瞬間に、規範とアノミー、法律と例外状態を結びつけることによって、法と生とのあいだの関係をも保証する憲法上の擬制をよりよく理解することを試みるべき時機が到来したのである。

第6章 権威と権限

6-3

 権威と権限とは、互いにはっきりと区別されている。しかしまた、それと同時に両者は一体となって二項からなるひとつの体系を形成しているのである。 法的効力というのは人間的行為の本源的な性格なのではなくて、「適法性を授与する潜勢力」をつうじてそれらの行為に伝達されなければならないものなのである。

6-4

 権威は、権限が生じているところではそれを停止させ、権限がもはや効力をもたなくなってしまったところではそれを復活させる力として作用しているように思われる。

6-5

 外的は公敵?

 すなわち、元老院の権威がそのもっとも純粋かつ明快なかたちで姿を現すのは、それがひとりの政務官の権限によって無効にされた時であり、法の効力に絶対的に対立しつつ、たんなる書かれたものとして生きているときなのである。ここで権威は、一瞬の間だけ、その本質を明らかにする。「適法性を授与する」と同時に法を停止することのできる潜勢力は、その法的無効性が最大限に到達した時点で自らのもっとも本来的な性格を露呈するのである。

6-8

 明らかにひとつのイデオロギーであったもの、すなわち、権限に対する権威の優位性ーーあるいはともかく特殊な地位ーーを基礎づけるはずの擬制であったものが、こうして法が生に内在していることの形象に転化するのである。

 規範が通常の事例に適用可能であり、法秩序を全面的に無効にすることなく停止されうるのは、権威あるいは主権者の決定という形態においては、規範が直接に生にかかわり、生から湧き出てくるからである。

6-9

 例外状態は、究極においては、アノミーとノモス、生と法、権威と権限とがどちらともつかない決定不能性の状態にある閾を設けることによって、法的-政治的な機械の二つの側面を分節すると同時にともに保持するための装置である。

6-10

 しかし、例外状態というのは本質からして空虚な空間であって、そこでは法との関係をもたない人間の行動が生との関係をもたない規範に対峙しているのである。

 法の規範的側面は統治の暴力によってもののみごとに忘却され論駁されてしまっており、国外では国際法を無視し、国内では恒常的例外状態をつくり出しながら、それにもかかわらず、なおも法を適用しつつあるふりをしているのである。

 いまや問題に付されているのは「国家」とか「法」といった概念それ自体だからである。

 すなわち、わたしたちの文化の緊張の場にあっては、二つの体立しあう力が働いているのである。一方はものごとを制定し設定する力であり、他方はものごとを不活性化し撤廃する力である。例外状態というのは、それら二つの力の最大級の緊張点であると同時に、規則と合体してしまうことによって今日それらの力を識別不能にしてしまうかねないものでもあるのだ。

6-11

 本当の意味で政治的なのは、暴力と法とのあいだのつながりを断ち切るような行動だけなのだ。そして、このようにして開かれた空間から出発することによってのみ、例外状態において法を生に結びつけていた装置を不活性化したあとで、法の使用の可能性についての質問を提出することが可能となるだろう。

 何も命令せず、何も禁止せず、ただ自らのことを言うだけの、非拘束的な言葉には、目的との関連をもたずに自らを示すだけの純粋手段としての活動が対応するだろう。そして、両者のあいだには、失われてしまった原初の状態ではなく、法と神話の潜勢力が例外状態のなかにあって捉えようと努めてきた人間的な使用と実践だけが存在するのである。

『例外状態』ジョルジョ アガンベン/著、上村 忠男・中村 勝己/訳より抜粋し流用。