mitsuhiro yamagiwa

Ⅵーー大いなるストカスティック・プロセス

 「ストカスティック」とはまず、ある面ではランダムな出来事の流れがあり、加えて、そのランダムな構成要素のうちから一部を選り抜いて他より長い間”生存”させる、ランダムならざるプロセスがはたらくということだ。乱雑さのないところに新たなものは生じない。

● ステップ 2ーー用・不用

どんな生物も、つねに遺伝的変化によって弛緩されるようなストレスを何かしら抱えている。

進化を考えるときには、どうしても一つの結果にばかり目が行きがちだが、その一つの結果をもたらすのに、いくつもの原因が背後で共働的に働いていることを忘れてはならない。

 生きた世界では、論理レベルを一段上げると、関連現象が何重にも絡まってくることが想定されるのだ。

● ステップ 4ーー体細胞的変化の遺伝的制御

 遺伝的制御のもとにない表現型の特徴などありはしないのだ。

● ステップ 5ーー”無から生じるは無”ーーその発生版

違いの刻印者がなければ発生は起こらないーーこれが「無から生じる無」の、発生に関するバージョンである。

● ステップ 6ーー相同

 生物界全体に広がる幾千例もの相同が、どのようにして出来てきたのかを説明するのに、「類似は相違に先行する」という一般化を持ち出すだけでは、まだまだ足りない。

 ”形態”とか”パターン”という語が、現在われわれのコンテクストの中で厳密にいかなる意味を持つのか、それを定義するのは容易ではない。

 われわれが探し求めているのは、進化という変動プロセスにもめげず真であり続けようとする形質を見分けるための諸基準である。

 それは量的な違いなのか、パターンの違いなのか。それは連続的な違いなのか、非連続的な違いなのか。

 動物の特徴は事実別個の種類に分かれること、そして系統的発生的相同とは、このうちより安定した擬似トポロジカルなパターンに基づくものであることーーわれわれが相同について掲げた疑問から、この二点が浮かび上がってきたわけである。

● ステップ 7ーー適応と耽溺

c 変革がシステム内部に複数の変化を呼び込んで、他の適応を強いることになる。

e 短期的に好ましく見えたことが、長期的に破壊を招く展開をもたらす。

h 変革を遂げたものが、耽溺のプロセスにはまり、一定の割合でその変化を続けていかねばならなくなる。

● ステップ 8ーー確率的過程、発散する過程、収束する過程

 いかなるシステムも(コンピュータも有機体も)内部に何らかのランダム源を抱えていなければ、これまでとは違う新たなものを生み出すことはできない。

 コンピュータに、検索その他の”試行錯誤的”な動きがとれるのは、乱数を活用して、集合内のすべての可能性に当たっているからである。

 永遠の眼をもって眺めれば、発散も収束もありはしまい。

 発生中の胚は、いつも変わらぬ出来事が選り好みされる閉じた文脈となっている。

 自然選択が保守的な過程であることを、明解に見抜いたのは、アルフレッド・ラッセル・ウォレスであった。

● ステップ 9ーー二つのストカスティック・システムを比較し合成する

 エピジェネシスという語によって強調しておいたように、発生とは土台をなすものと上乗せされるものとの合体の連続ーーすなわち互換性のテストの連続ーーである。

 新しいものが生き残っていくのを見ると、われわれは旧いものに何が欠陥があったと見がちである。

 つまり生物も環境も、相手の反応を読んだ上で変化しているのではない。どちらも、互いが次にどう動くかについて情報を持ち合わせていないのだ。だがこの[生物ブラス環境の]系には、選択の機能がおのずと備わっている。習慣と環境(習慣自体を含む)のもたらす体細胞的変化が適応的であればそれで十分なもの。(環境と経験とがもたらす変化のうち、適応性を持たず、生存上価値のないものを、われわれは一括して”耽溺”と呼んでいるわけだ。)

 遺伝的変化のほうが体細胞的変化を制限する。ある変化を可能に、ある変化を不可能にするのである。

 つまりゲノムは適応の選択肢の貯蔵庫であるのだ。

 個体群は環境の圧力に即時反応することができる。

 ジェネティックなレベルで起こるランダムな変化を内的な生存性のフィルターにかけて絞り込む、そのシステム全体を通して、系統発生的相同が生物界のいたるところに現れ出るのだ。

 個体の生存や生殖の見地からしても、あるいは単に心地よさ、ストレス減少の見地からしても、環境の変化に適応するのが得なのだ。

 私としては、創造的な思考が必然的にランダムな要素を含むという点を強調したい。試行錯誤を限りなく繰り返しながら前進する精神の探求プロセスが、新しい考えに到達しうるためには、思考の道筋がランダムに提示されることが必要条件となる。そしてそのうち一部のみが、実際の試行を経て選り抜かれ、いわば生き残るのである。

 心に浮かぶ新しい考えというのは、すでに保有している観念を混ぜ合わせ組み立て直すことに、おそらくほぼ全面的に依存する。

 生物の行為はすべて、何かしら試行錯誤的な面を持つ。新しいことを試してみるには、その行動に、多少なりとも場当たり的な、ランダムなところがなくてはならない。

 しかし環境の要請に即応する変化には限界があり、最終的には遺伝的に決定されている。

 しかし名づけるということ自体、一つプロセスである。

 すなわち、生物進化と思考過程を分析する目的で私が分けた二つのストカスティック・システムを再度合体させるためには、両者を互い違いに現れるものとして見なければならない。

 クラスが名づけられる前に、クラス作りのプロセスが来なくてはならない。

『精神と自然 | 生きた世界の認識論 』グレゴリー・ベイトソン 著/著、佐藤良明/訳より抜粋し流用。