第 3 章 フランス哲学者がポーランドの詩人に応答する
(a) 晦渋さ
詩は一つの操作である。詩は、世界が諸事物を収集したもののように現れたれわけではないということを私たちに教えてくれる。世界は思考に対立するものではない。世界はーー詩の操作にとってーー、その現前が客観性と比べてより本質的なものであるところのものなのだ。
詩は、対象がその現前の純粋さのうちに溶解することに集中するのであり、詩とはこの溶解の瞬間を構成することなのだ。
詩は、「抽象化の沈黙の飛翔」なのである。
詩における真の関係とは、主体のものではない思考と、対象を越え出る現前のあいだに打立てられるのだ。
(b)詩は誰に向けられるのか?
〈群衆〉は、現在が現前するための条件である。
(c)パウル・ツェラン
より本質的に言えば、つながりあるいは関係の理念は人を欺くものなのだ。真理とは、つながりを脱することであり、このほどきへと、つながりがほどかれる局所的な点へと詩は作動するのであり、それは現前の方向へと向かう。
真理が寄りかかるものは整合性ではなく、非整合性であると。正しい判断を表明するのではなく、識別できないもののささやきを生み出すことが問題なのだと。
文字だけが識別するのではなく、実行するのである。
『思考する芸術―非美学への手引き 』アラン・バディウ/著、坂口周輔/訳より抜粋し流用。