mitsuhiro yamagiwa

2023-09-09

連続性と接続

テーマ:notebook

内部

 形式の内部では、私たちが通常想像する限りでの歴史はーー現在に対する過去の出来事の効果ーー最も関連性の強い因果的な様態であることをやめる。

 規則性はいくつもの存在論的な領域と時間的な実例を超え出ることができるために、こうした形式はそこで、創発的な「常に既に」というひとつの領域を創造する。 その領域では、既に生じている物事は、生じなかったということはありえない。

 森の主たちによる「常に既に」という領域は、形式のなかにある存在の質の何かをとらえる。

 共進化は、相互作用する種のあいだの規則性や習慣の互酬的な増殖と理解することもできよう。熱帯の森では、多様なたぐいの自己が相互に関係する方法のために、無数の方向へと形式が増幅する。一層増加する特性とともに有機体が表現するようになった進化史的な時間のなかで、ほかの有機体が周囲の環境をさらに徹底的に表象するようになる方法を通じて、環境は一層複雑になったのである。

 形式は時間を凍結する。

 いくつものたぐいと同じく、形式は私たち人間が世界に押しつける構造から必ずしも生じるわけではない。こうした型は、人間的なるものを超えた世界の中に出現することもある。それらは、低位の歴史的な過程に関して創発的であるが、歴史的な過程とは現在に対する過去の影響を含み、それらを生じさせ、そしてさらには有益なものにする。

歴史の断片

 権力のある者たちが蓄積した富を入手するためのそれぞれの戦略には、それぞれの因果を含んだ歴史がある。しかし、このことはもはや問題ではない。それら全ては、より一般的なもの、森の主たちの形式の部分をなしている。そしてそれぞれが、その富のいくらかを入手する地点となっている。

形式の労なき効力

期待通りにならなかったということも、じつは、形式ならではの特性である。

 形式は、伝統的な民族誌の対象であったら触ることのできる他者性ーー第二性ーーを大きく欠いている。その自己相似的な増植における形式としてしか、それは現れないからである。

 私たちの習慣は、型が崩壊しているときだけ、すなわち私たちがそれの外側に陥ったときにだけ、気づくことができるようになっているとも言うことができる。そして、気づかれていないその型の働きを理解することが人間的なるものを超えた人類学にとって決定的なことである。形式とはまさに、こうした種の不可視の現象でもある。形式が私たちに求めるのは、「実在」によって私たちが言わんとするものを再考することである。

 しかしながら、現存する対象の実在性に関連づけられるような質が一般のうちにあるとするのは間違いであろう。

 形式は、現存するものと関わる一般のうちにある連続性と接続に注意しなければ理解できない。

 形式とともに事をなすには、その労なき効力に屈することからは逃れられない。

 おそらく、レヴィ=ストロースにとっての神話のように、「彼ら自身には知られることはなく、人間において思考する」、こうした夢に関わる何かがあるのだろう。 夢見は何らかの「野生の思考」である。それ自体の目的には縛られない思考、そしてそれゆえに、浸透するようになった形式の遊びへの感度が高い思考の形式である。

『人間的なるものを超えた人類学 森は考える』エドゥアルド・コーン/著、奥野 克巳・近藤 宏 /監訳、近藤 祉秋・二文字屋 脩 /共訳