mitsuhiro yamagiwa

2022-06-06

等しい時間

テーマ:notebook

第四章 伝統的メディアの凋落

 ジャーナリズムとは、誰かにとって報じられたくないものを報じるものだ。それ以外は宣伝広報にすぎない。ーージョージ・オーウェル

 風刺には、現実を笑いの種にすることによって、日常生活におけるばかばかしさを強調しようとする意図がある。風刺を現実として受け入れると、この重要な点が失われてしまう。風刺の意図は欺くことではなく、嘲笑うことにあるのだ。

メディア・バイアスの問題

「等しい時間」を提供するという決断や、事実にもとづく事柄についてでさえ「そのストーリーの両側面を伝える」という機械的な反応のなかには、客観性という呪いが響いている。

 誰が大衆を批難できるだろうか?彼らは論争をニュースで見ているのだ!メディアは今日に至るまで、自分たちはバイアスにかかっていないと示すことで「屁を放って尻を隠す」方を好んで選び、「真実を伝える」仕事を放棄してきた。これは、いんちきの懐疑論にすぎないことを介して、事実にもとづく事柄に混乱を作り出そうとする人々の思う壺である。なぜメディアはそんなことを認めてきたのだろうか?その理由の一端は、怠惰な報道にあるだろう。

ポストトゥルースとの関係

 実際近頃では、多くの人々は、どの情報源にバイアスがかかっているかさえ見分けることができない。そして、あらゆるメディアにバイアスがかかっていると信じているなら、バイアスがかかった情報源のなかから好みのものを選んで支持しても大差はない、ということになるだろう。

 主流のメディアの評判がどん底にある以上、プロパガンダを流布させることで利益を享受する人々も、他人が自分たちの側のストーリーを語るかどうかについて、もはや心配する必要はない。いまや彼らは、自分自身の表現手段となるメディアをもっているのだ。

『ポストトゥルース 』リー・マッキンタイア/著、大橋 完太郎/監修、居村 匠・大﨑 智史・西橋 卓也/訳より抜粋し流用。