mitsuhiro yamagiwa

2023-11-10

知覚の受動性

テーマ:notebook

社会の原理としての個性ーーバルザックの見方

 原理などというものはない。あるのは出来事だけ、法則は便宜主義の法則だけだ。

 都市では、小さな腐敗、ちょっとした心ない残酷な行い、一見ささいな軽蔑が、道徳上の絶対的なものにふくれあがった。

 都市はかくして人間の心理のあらゆる可能性を露わにした。つまり、あらゆる情景が意味をもった。なせなら人の欲望の外側にはそれを引き起こす原理はなかったからである。

 社会の一切は生活の小さな具体的な現れのすべてに縮小されているのだが、この秘密をこじ空けて引きだすためには、作家と小説の読者は無理してでもあらゆる能力をふりしぼり、論理的に正当化できる以上の感情を細部に注ぎ込まねばならない。生活の小さな行い、小さな物事はそうした膨張なしでは何ら明確な意味を示すことはない。

 「……それは一人の人間にはまったく当てはまらず、社会的な力ににみ当てはまるのである」。細部への関心は「リアリスト」の関心であり、それについての感情の強さは「ロマン主義」のものである。

 社会的範疇は、われわれがそれをある特定の人物の生活に内在しているものとして見るときにのみ、信じられるものになる。

 事実の熱心な観察者であるバルザックは、事実を事実であるものの領域から引き上げる。

 細部が本質的に社会のほかのすべてのことと関係しているように思わせて細部を膨らませたために、細部は意味をはらんで、解読し、そして神秘性を除去すべき重大な事実になる。

 同時におこなわれる膨張と縮小。この社会の個人化から二つの結果が生じた。一つは知覚されたものの不安定さであり、いま一つは知覚する者の受動性である。「目の美食学」は一つの階級文化を規定しているが、この文化の領域は、やがて見るように、芸術における知覚から都市の社会集団の知覚へと移動するのである。

 社会関係は人の外見の細部に埋め込まれている。知覚される個性の不安定性は知覚する人の浮動的な受動性に関係している。

「公」の場における個性ーー身体の新しいイメージ

 「同質の」「一様の」あるいは「単調な」といった用語は注意して用いられねばならない。

もはや街が語らぬ真実を舞台が語る

 都市では、神秘化に終止符を打ち、真実をつげるためには、社会は芸術に頼らねばならなかった。

 かくして個性の新しい条件は公的領域内での舞台と街との関係を変えた。これらの条件は、同様に公と私の関係を変えた。その関係を変えたのは私的な感情を公の場で不本意に明らかにすることによってばかりではなく、私の基本的な制度、つまり家族に影響を与えることによってだったのである。

『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦 高階悟/訳