mitsuhiro yamagiwa

2024-03-12

単語の集合体

テーマ:notebook

 一九六〇年と一九七〇年のコンセプチュアル・アートは、単語の文脈および単語の集合知としてインスタレーション空間を生み出した。アヴァンギャルドの芸術もまた、文法的に確立された言葉の形式に従属することから、音の断片と個別の文字を解放することを試みた。

 言葉を解放する努力はまた、言葉の平等性を求める努力でもある。文法によって規定されるヒエラルキー的構造から解放されるとき、単語の根本的な平等性は、政治の民主主義と呼応する一瞬の完璧な言葉の民主主義として言語を表明する。

 言語がすでに単語の集合体へと変化している限りにおいて、あらゆる個別の単語の象徴的資本に関する問いが投げかけられるだろう。

言語の家は単語の集合体に変わる。人間は言語学上のホームレスとなる。

 このようにしてわれわれは伝統的な意味での単語について語るのをやめる。その代わりに、様々な文脈、完全に沈黙し、純粋に操作的な、脱言語学的もしくはメタ言語学的な実践のモードで単語を出現させたり、消滅させたりする。

 この言語使用の根本的な移行は、肯定的な文脈と否定的な文脈がますます等価になることによく反映されている。

 こうして、肯定と否定の基本的な言語学的オペレーションは取るに足らないものとなり、特定の語が特定の文脈に含まれるか含まれないかという脱言語学的なオペレーションに取って代わる。それはまさにキュレーターシップの定義である。「キュレーター」という単語は、単語の集合体としてテキストを扱う者を表す。

 一九六〇年と一九七〇年のコンセプチュアル・アートは、単語の文脈および単語の集合知としてインスタレーション空間を生み出した。アヴァンギャルドの芸術もまた、文法的に確立された言葉の形式に従属することから、音の断片と個別の文字を解放することを試みた。

 言葉を解放する努力はまた、言葉の平等性を求める努力でもある。文法によって規定されるヒエラルキー的構造から解放されるとき、単語の根本的な平等性は、政治の民主主義と呼応する一瞬の完璧な言葉の民主主義として言語を表明する。

 言語がすでに単語の集合体へと変化している限りにおいて、あらゆる個別の単語の象徴的資本に関する問いが投げかけられるだろう。

 文法から単語が解放される初期の別の歩みを、フロイトの言語の使用に見出すことができる。ここでは個々の単語は、ほとんどインターネットのリンクのように機能する。それらは文法上の位置から自分自身を解放し、他の無意識の文脈との繋がりとして機能し始める。

『流れの中で インターネット時代のアート』ボリス・グロイス/著、河村彩/訳