mitsuhiro yamagiwa

2023-11-06

個人的かつ受動的

テーマ:notebook

第三部 十九世紀における公的生活の動揺

 公的領域の個人化が話しことばと沈黙の新しい領域を生みだしたこと、そしてその領域のなかでは特別な種類の人間だけが公の場で俳優でありつづけることができたことを明らかにする。

 十九世紀における都市化はまた、都市の習慣の普及以上のものであり、それはより一般的な「近代の」、反伝統的な勢力の普及を表していた。

 今日の大都市で見られる公的生活の拒否は、コミュニケーションの新しいテクノロジーによって、より大きな社会での公的生活の拒否とも絡み合うようになりかねない。

第七章 産業資本主義の公的生活への影響

 数の変化が徐々に形の変化を生みだしたのである。

都市の地方化

 都市がどこまでも人々でいっばいになってゆくにつれて、それらの人々は次第に外でのお互いの機能的接触を失っていった。見知らぬ人がますます多くなり、人々はいっそう孤立していった。広場の問題は、地区と地域の問題に拡大された。

 都会人とは一つの地区、一つの場所だけでなく、同時に多くの地区と場所を知っている人であった。

 地区や地域の構造が経済にそって同質化されるにつれて、場から場へともっとも移動しそうな人々は、都市の別の所へとおもむくだけの込み入った利害関係や人間関係をもっていた人々であり、そのような人々は裕福なほうの人たちであった。地区の外側で過ごされる日常生活のきまりきった行いがブルジョワの都市の経験になりつつあった。コスモポリタンの意識とブルジョワ階級の一員であることはそのようにして親近性をもつようになった。逆に言えば、地方主義と下層階級が混じり合ったのである。

「公」の商品

 「もっとも似ていない物が、お互いに隣り合わせに置かれるとき、お互いを支え合うように思われる」。これは何故なのだろうか?物の実用性が一時的に保留されたのである。それは「刺激的」になり、人はそれを買いたくなった。それは見慣れぬものになったのである。

 買い手を刺激して物にその効用を超えたそれ以上の個人的意味を与えることで、大量の小売販売を儲かるものとする信念が生じた。

 個人的感情をまとわせることと受動的な観察が結びつつあった。パブリックな場にでることは個人的かつ受動的な経験となったのである。

 感情は秘密にしておくことによってのみ安全であり、隠れた時と場所においてのみ相互のやりとりが自由なのである。しかし、まさにこうして表現を恐れて引っ込むがゆえに、他人はさらに圧力を感じて、何を感じ、何を欲し、何を知っているかを知ろうとしていっそう接近してくることになる。

『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦 高階悟/訳