「第二次の法則」と内的な区別
悟性がかくて経験するところは、現象そのものの法則からして、区別が生成してくるが、それはいかなる区別でもなく、あるいは〔磁石のN極がN極を遠ざけるように〕同名のものがじぶんをじぶんから斥ける、ということなのだ。
このあらたな第二次の法則が表現するのはむしろ、ひとしいものがひとしくなることであり、またひとしくないものがひとしくなることであるからだ。ここで概念の思想を欠いたありかたに対して要求しているところは、ふたつの法則をむすびあわせて、両者の対立をを意識することなのである。
じぶん自身のひとしさとはいえ、不等性の自己同等性であり、恒常的であるといっても、非恒常性の恒常性なのである。
ーー力のたわむれにあってあきらかであったとおり、この法則はほかでもなく、こうした絶対的な移行であり、純粋な交替である。
区別がもうけられるとはいえ、その区別はなんの区別でもないのだから、区別はこうしてふたたび廃棄される。区別はかくてまたことがらそのものの区別であり、ことばをかえれば絶対的な区別であることが示されるのだ。
ことがらにぞくするこの区別は、したがって同名のものにほかならず、この同名のものがじぶんをじぶん自身から排斥している。同名のものがかくて対立を定立しているものの、その対立はいかなる対立でもないのである。
顚倒された世界
この原理をつうじて、最初の超感覚的なものは顚倒されている。
この顚倒された世界の法則にしたがえば、それゆえ、最初の世界にあって同名のものはみずから自身とひとしくないものであり、いっぼう最初の世界においてひとしくないものは、同様にじぶん自身とひとしくないもの、つまりみずからとひとしいものとなる。
「内的な区別」と「無限性」
かくて超感覚的世界は、それが顚倒された世界であるかぎり、同時に他の世界を超えて、それを包括し、それ自体そのものとして他の世界を有している。超感覚的世界はそれだけで顚倒された世界であって、要するにじぶん自身を顚倒した世界である。超感覚的世界が超感覚的世界そのものであり、かつみずからに対立した世界であるのは、ひとつの統一されたありかたにあってのことなのだ。かくてはじめて超感覚的世界は、内的な区別としての区別、あるいはそれ自体そのものとしての区別である。
「無限性」と「法則」
法則の有する単純なものとは無限性なのである。
「絶対的概念」としての「単純な無限性」
しかしながら統一は抽象であって、対立しているものの一方であるにすぎない。
つまり、統一とはふたつに分裂することであるという消息である。
ふたつに分裂することとみずから自身とひとしくなることの区別もまた、それゆえ同様にただこのようにじぶんを廃棄する運動であるにすぎない。
「自己意識」の段階への移行
かくて無限性は最終的に意識に対して対象となり、しかもそれが存在するとおりのものとして対象となることによって、意識とは自己意識となるものなのだ。悟性による説明がつくり出すものは、さしあたりは「自己意識とはなんであるか」をめぐる記述であるにすぎない。
説明するさいに、意識がなにかべつのものを追っているかにみえるのはたしかであるとはいえ、意識がじっさいに追いかけているのは、ひとえにみずから自身なのである。
『精神現象学 上 』G ・W・F・ヘーゲル/著、熊野純彦/訳より抜粋し流用。