序章 不置を解く
2 モアレと巻込
モアレとは、二つの周期的パターンが重ねられるときに現れるパターンのことを指す。ベイトソンはこれを、芸術をおこなう精神の基本構造と結びつけている。
「モアレの形式数学すなわち”論理”は、美的現象をマップする土台として適切なトートロジーを与えるものだ」と言えるかもしれない。
「草の三段論法」
草は死ぬ
人は死ぬ
人は草である
草の三段論法は、主語が属するカテゴリー「人」の同一性ではなく、「死ぬ」という述語の同一性によって人と草を同一視してしまう。述語による統合が草の三段論法の本書原理だ。
つまり草の三段論法の論理とは、同一の述語の下に複数の事象を包含することではなく、複数の非言語的パターンが差異を伴いつつ重なりあい、「モアレ」を生むことなのだ。その「論理」は線的ではなく、重なりあうパターンの至るところで同時双方向的に、さまざまな度合いで働く。このパターン間の同時双方向的で度合いをもった結び合いが、前言語的な形象の思考を内的に統御している。
韻とは、複数のパターンを共鳴するあざやかな結び目のことだ。
ベイトソンの全体論的な宇宙では、諸々のパターンは現に調和的に結びつき、あるいは調和的に結びつくべきものと見なされている。そこから、生態系全体でグローバルに結び合うパターン群が生み出す、超個体的な(個々の生物を越える)精神が見出される。
形象の思考は、見る者が形象によって変形されることで、見る者において引き継がれる。
形象と見る者との間に起こるこの関係を、「巻込(convolution)」と呼ぼう。
見る者は自身の働きと知覚に形象を巻き込み(形象は巻き込まれ)、形象は自身の特異な布置のなかに見る者を巻き込む(見る者は巻き込まれる)。
巻込は、自己形成に侵入する強制力ある「模倣」である。
『 かたちは思考する 芸術制作の分析 』平倉圭/著より抜粋し流用。