mitsuhiro yamagiwa

2022-06-14

道具と武器?

テーマ:notebook

第五章 ソーシャルメディアの台頭とフェイクニュースの問題

 当然のことながら、伝統的メディアが凋落した原因の大部分はインターネットにあった。

 そしてもちろん、すでに自分の見方に適っているニュースを読むこと(そしてそれを信じること)だけを好む者もいる。

 今日ではあまりに多くの「ニュース」情報源があるので、そのうちどれが信用でき、どれが入念な精査を経ているのかを見分けるのは、ほとんど不可能に近い。

 まったく、指針を提示すべき人々がわたしたちの無知や認知度バイアスを都合よく利用するなんて、なんというか最悪の状況だろう。

フェイクニュースの歴史

 インターネットによって、あまりに容易に(かつて安価で)ニュースを手に入れられるようになったが、その結果としてわたしたちは怠惰になってしまった。与えられて当然だというわたしたちの感情は、批判的に思考する能力を蝕んでしまった。そして少なくともこれは、フェイクニュースが再び出現するためのきわめて肥沃な環境を創り出した原因の一端ではないだろうか?

話の転がる先

 重要なのは、情報を伝達することではなく、わたしたちに「徒党を組ませる」ことだ。

 プロパガンダの目標は、あなたの正しさを誰かに納得させることではなく、あなたが真実そのものに対して権限を持っていることを実例として示すことにある。

 スタンリーはハンナ・アーレントの言葉をこう言い換えている。「大衆を納得させるのは事実でもなければ、でっちあげられた事実でさえない。むしろ、大衆は公然たる軽視を信じるのだ」。

 「 全体主義的な統治における理想的な臣民は、熱狂的はナチ党員でも筋金入りの共産主義者でもなく、もはや事実とフィクションの区別も[…]真と偽の区別も[…]つかない人々なのだ」。

 つまり、真実は感情よりも重要ではないということ。そしてもうひとつは、何が真実で何が真実ではないかということでさえ、わたしたちはもはや見分けがついていないということ。

 スタンリーが主張するように、プロパガンダの目的とは、あなたを騙すことではなく、政治的権力を行使することだ。

 真の権威主義者は、あなたの同意を必要としないのだ。

 フェイクニュースはわたしたちを混乱させ、あらゆる情報源が信頼足りうるかどうかを疑わせる。ひとたびわたしたちが、もはや何を信じればいいのかわからなくなると、そのことが都合よく利用される可能性がある。もしかするとーーわたしたちが信じるかどうかが重要でなくなるやいなやーー、完全なるプロパガンダがそのあとで到来するのかもしれない。そのときわたしたちはすでに、支配者が誰なのかをわかってしまっているのだから。

ポストトゥルースとの関係

 重要なのは、わたしたちのテクノロジーが創り出す困難に対して、いかに反応するかという点にある。ソーシャルメディアは、ポストトゥルースの進展を促すに重要な役割を果たした。「真実がズボンを履いているあいだに、嘘は世界を半周している」というのは使い古された決まり文句だ。だがそれは、人間のもって生まれた本性をめぐる真実であり、そこから脱けだす素質に関する事実ではない。情報の電子的な普及は嘘を拡散するのに用いられるが、真実を拡散するにも用いられる。

『ポストトゥルース 』リー・マッキンタイア/著、大橋 完太郎/監修、居村 匠・大﨑 智史・西橋 卓也/訳より抜粋し流用。