mitsuhiro yamagiwa

2023-04-25

過たない確かさ

テーマ:notebook

 大衆がひたすら現実を逃れ矛盾のない虚構の世界を憑かれたように求めるのは、無政府的な偶然が壊滅的な破局の形で支配するようになったこの世界にいたたまれなくなった彼らの故郷喪失のゆえである。

 しかし人間というものは無政府的な偶然と恣意に為す術もなく身を委ねて没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直し狂気じみた首尾一貫性に身を捧げるかという前代未聞の選択の前に立たされたときには、必ず後者の首尾一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろうーーだがそれは人間が愚かだからととか悪人だからとかというためではなく、全般的崩壊の混沌の中にあっては虚構の世界へのこの逃避は、ともかくも彼らに最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれると思えるからである。

 不幸の打撃に見舞われるごとに嘘を信じやすくなってゆく大衆にとって、現実の世界で理解できる唯一のものは、いわば現実世界の割れ目、すなわち、世界を公然とは論議したがらない問題、あるいはたとえ歪められた形であれ、とにかく何らかの急所に触れているために世界が公然と反駁できないでいる噂などである。

 ユダヤ人が政治的に重要な地位を失ったのは、国民国家の権力喪失に比例していた。

 ヒトラーに従えば、国家は「人種の維持」のための「手段」でしかなかったーーボルシェヴィキのプロパガンダに従えば、国家は階級闘争の道具でしかなかったのとまったく同じである。

 つまり、変えることのできない客観的条件に縛られずに、組織の力によって自分たち自身で演出できる勢力となる道を示したのである。

 スターリンは、十月革命の最大の雄弁家トロッキーを敗退させることに成功している。全体主義の指導者は普通の意味でのデマゴーグではないし、マックス・ヴェーバーの言う「カリスマ的指導者」でも断じてない。彼らがぬきんでている点は、事実と対立する完全な虚構の世界を築くに適切な要素を既成のイデオロギーから選び出す、過たない確かさなのである。

 そこでは虚構自体の首尾一貫性が「より高度の」真実をあらわしているように見えるから、個々の特殊的な嘘がすべてばれてしまったとしても運動は生き延びることができる。

 ナチ・プロパガンダはユダヤ人の世界陰謀のフィクションを、客観的に論じ得る嘘から全体主義的な現実の中心的要素へと変えてしまった。

 イデオロギーとしてのナチズムは運動の組織と第三帝国の組織の中で余すところなく「実現」されていたため、その内容は特定の教義の一体系としては何ひとつ生き残らず、現実から自立した精神的存在としてのイデオロギーではなくなっていた。それゆえに実際にナチの虚構が崩れ去ったときには、あとには文字どおり何ひとつ残らず、妄信のファナティシズムさえあとかたもなく消え去ったのである。

『新版 全体の主義の起源 3』 ハンナ・アーレント/著、大久保和郎・大島かおり/訳