mitsuhiro yamagiwa

2023-04-26

われわれとその他

テーマ:notebook

2 全体主義組織

 テロルとプロパガンダではなく、組織とプロパガンダこそが一つのメダルの両面である。

 全体主義運動のメンバーは組織的に外部世界から遮断される結果、彼らの観念の中では外部世界の敵はつねに見かけ倒しの敵にすぎないーーすなわち過激性と徹底性において劣りはするが内心ひそかに「共感を寄せ」ている多数派と、悪魔のように狡猾だが力の点では取るに足りない少数派ーーということになるため、彼らは全体主義政策が犯している極度の危険を根本的に、そして頑なに過小評価することになる。

 〈指導者〉が運動の行動一切についての説明を独占すればするほど、外部世界の目には、運動の中でだけが非全体主義的な概念を使って話し合うことがまだできる唯一の人間に見えてくる。少なくとも彼は自分のすることを知っており、そして知っていると認めているからである。彼だけは反駁に対して、「自分にではなく〈指導者〉に聞いてくれ」と答えることのできない人間なのだ。

 ーー外部世界の人々は、全体主義運動や全体主義政府と交渉せねばならなくなると、いつも〈指導者〉との個人的会議に期待をつなぐ。

 全体主義政権が軍ではなく警察を最も信頼できる支柱と見てこれを暴力の本来の根拠地に仕立てるのは、陰謀的な秘密結社と、それと戦うべく組織された秘密警察との間の本質的な類似性に起因している。

 「仲間に入っていない者はすべて排除される」とか、「私を支持しない者はすべて私の敵だ」とかいう原則の上に建てられた組織は、現実の世界の中には居場所を持たず、それゆえに方面を見失っている大衆にとっては、混乱と苦痛の源でしかないあの現実世界の多様性を消し去ってくれる。「われわれ」とその他一切の人間を分ける二分法は、秘密結社の会員に彼らが与っている秘密自体が呼び覚ますのと同じ無限の忠誠心を、この大衆の心にかき立てる。

 軽信とシニシズムのこの同居はそれだけでも充分に奇異なものだった。なぜならそれは、軽信は未開の「無教養」な人間の特徴であり、シニシズムは洗練された優れた精神がおちいる悪徳であるという幻想の終わりを意味していたからである。この先入観に止めを刺したのは大衆プロパガンダだった。このプロパガンダは、どんなにありそうもないことでも軽々しく信じてしまう聴衆、たとえ騙されたと分かっても、初めからみんな嘘だと心得ていたとけろりとしている聴衆を相手として想定し、それによって異常な成功を収めたのだった。

 判定の基準となるのは事実でも論証でもなく、将来における成功か失敗だけである。そして〈指導者〉の行為も、またイデオロギーの主張も、これからの数千年という将来のために計画されているのであるから、それらは現在ともに生きる人々の経験範囲と判断力の及ばないところにあるわけである。

 全体主義の運動や政府との関係において非全体主義の世界が犯した最大の失敗は、全体主義の嘘の犠牲になったことというよりもむしろ、このシステムを見抜けなかったことだった。

 エリートは、正と誤の論証的区別とか、虚構と現実との判断力による区別とかいうものを、初めから捨てるように仕込まれている。彼らの優位を支えているのは、あらゆる事実認定をただちに意志表明に解消してしまう能力である。

 結局のところ、全体主義の条件のもとで、それを決めるのはもっぱら隅から隅まで組織されテロルに曝された公共圏だけの仕事になってしまっているからである。虚構の世界にあっては失敗を失敗として記録し得るような役所は存在しない。成功と失敗というような単純な区別ですら、事実としての世界の存続に、それとともに非全体主義的な世界の存在にかかっているのである。

『新版 全体の主義の起源 3』 ハンナ・アーレント/著、大久保和郎・大島かおり/訳