第43節 感性と徹底
かかる非人間的なものは未知のものであり、非人間的なシステムに挑戦を仕掛け、偶然性の必然性として機能する。
感性はつねに局所的かつ歴史的である。つまりそれは精神多様性の条件でもある。
「何にも増して、芸術家たちは非人間的なものにならんと欲する人間である」。『キュビズムの画家たちーー美の省察』ギヨーム・アポリネール
第44節 有機体論、器官学、そして宇宙技芸
われわれは有機的なものから非人間的なものへとはるばる脱線してきたが、それはひとえに自然哲学から一つのテクノロジーの哲学に到る奇跡を辿るためであり、さらにはかかる哲学の未来を思弁するためでもあった。
テクノロジーの進歩は新たな思考の諸形式を要求しており、しかもそれは大陸哲学と分析哲学や西洋思想と非西洋思想の愛憎劇を超えたものでなければならない。
進化が可能であるには多様性がなければならず、それは生物学がすでに教えてきたように進化というものは共進化として理解しなければならないからである。
すなわち、人間存在はただの観察者でしかなく機械は人間存在に置き換わるものであるという幻想を超えてゆくような、そういう器官学を精緻化することができるであろうか。
天地というものがかかる宇宙の名前であるが、この天地は人間の活動と相関しており、両者の関係は実在し「共鳴」により維持されている。
資本主義の破壊はみずからのテクノロジーに凌駕されるから起こるのではない。それはみずからの宇宙テクノロジーが根本的にその存立と実存の条件に反しているから起こるのである。
宗教を存続させているのは単なる熱狂ではなく信仰であり、そして信仰の中にこそわれわれは非人間的なものを見いだす。
根本的に問われているのは、テクノロジーを根拠づけ直すということである。強調しておかなければならないが、これはAIやロボットに何らかの倫理観を追加するというようなことではない。
むしろなすべきは、未来のテクノロジーの開発に複数の枠組みを提供することで、黙示録的な技術的特異点つまり文字通りの技術単一性ではなく、技術多様性に基づいた新たな地政学の出現を可能にすることである。
問われているのは、いましばしばそうされているようにただサイバネティクスを一つの統治性にすぎないものとしていかに悪者扱いしたり等閑視したりするかではなく、むしろサイバネティクスのもつ総体的で決定論的な考え方に陥りがちな傾向を掘り崩すことで、サイバネティクスの新たな展望をいかに捉えるかである。
それはもろもろのテクノロジーをそれらの発生の内に状況づけ直すこと、すなわちもろもろのテクノロジーを多様な宇宙的実在の内に状況づけ直すことでなされる。
『再帰性と偶然性』ユク・ホイ/著、原島大輔/訳より抜粋し流用。