c 法状態
「法制度」とストア主義ならびに懐疑主義との関係について
人格の権利は、ことばをかえれば自己意識一般としての個人とむすびあっているのだ。
現実的なものが「私のもの」であって、それはしかもカテゴリーという意義において、承認され、現実に妥当するものであることでなりたつ。
B じぶんにとって疎遠となった精神 教養
人倫的世界、法的世界、教養の世界
自己にとっての実体とは、したがってみずからを外化することそのものであり、この外化こそが実体である。いいかえればそれは、世界へと秩序づけられてゆき、かくて維持される精神的な威力のさまざまなのである。
疎外とは自己と実在がたがいに疎遠となることである
精神とは意識であって、その意識はそれだけで自由な対象的現実についてのものだ。
人格と対象性の両者が、みずからにとって疎遠なものとなり、他方に転じることが、純粋な意識、あるいは実在なのである。
じぶんにとって疎遠となった精神は二重の世界を形成する
すべてはみずからの外にあり、疎遠なもののうちに存在する。全体の均衡とはいっても、それは、じぶん自身のもとに止まる統一や、自身のうちへと立ちかえって安らいだありかのうちに存在するものではない。むしろ均衡は、対立するものが〔それぞれみずからにとっで〕疎遠なものとなり、他方に転じることにもとづいているのである。
人倫的世界の意識もまた、知っていることと意識していないことに分裂しながら、その分裂から運命へと立ちかえっていた。運命とはつまり「自己」〔にぞくするもの〕でありながら、こうした対立を否定する威力となるもののことであったわけである。
『精神現象学 下 』G ・W・F・ヘーゲル/著、熊野純彦/訳より抜粋し流用。