14 労働と繁殖力
彼にとって、労働とは、個体の生存を保証する「自分自身の生命の再生産」であり、生殖とは、種の生存を保証する「外来の生命の」生産であった。
つまりマルクスの著作では、生産性とは繁殖力のことにほかならない。
人間による自然との新陳代謝の繁殖力というのは、労働力の自然的余剰から生まれるのであるが、この繁殖力にも、やはり、自然界の至るところで見られる豊かさがある。労働の「至福の喜び」は、私たちがすべての生産物と共有する生きとし生けるものの純粋な幸福を経験する人間的様式である。
幸運とは、まれなものであり、けっして永続せず、追求することもできない。というのは幸運は、運に依存し、チャンスが与えかつ取るものに依存しているからである。
生命の力とは、繁殖力のことである。生ある有機体は、それが自己再生の力をもっているときには、消耗されないものである。
種の生命という観点から見ると、実際、すべての活動力の公分母は労働にある。
労働の生産物は、悲しいかな、専有の過程でただ消滅するだけであり、「それらが損傷する前に」消費されないなら「いたずらに滅びる」だけである。
15 財産の私的性格と富
自然科学による過程の発見が哲学における内省の発見と時を同じくしていた以上、私たち自身の内部における生物学的過程が結局は新しい概念のモデルそのものになったとしてもごく自然のことである。
たしかに、繁殖力は驚くほど高まり、過程が社会化されて、個人の代わりに社会あるいは集団的なヒトが主体となった。しかし、そうなっても、生命が自らを明示する肉体過程の経験や労働の活動力から、厳格かつ過程でさえある私的性格を取り除くことはできない。財の豊かさも、労働で実際に使用される時間の短縮も、結果として、共通世界の樹立をもたらすように思えない。
マルクスは、「社会の生産力」が自由に発展する条件のもとでは、公的領域は「死滅する」と予言した。
つまりマルクスは〈労働する動物〉という彼の人間観に終始忠実だったのである。
16 仕事の道具と労働の分業
労働の生産物、つまり、人間による自然との新陳代謝が生み出す生産物は、世界の一部分になるほど十分に長く世界に留まっていない。そして労働する活動力そのものは、もっぱら生命と生命の維持に専念して、世界のことを忘れ、無世界的となる。
〈労働する動物〉は、自分の肉体の私事の中に閉じ込められ、だれとも共有できないし、だれにも完全に伝達できない欲求を実現しようともがいている。そうである以上、彼は、世界から逃亡しているのではなく、世界から追放されているのである。
生命のリアリティにたいする私たちの信頼と、世界のリアリティにたいする信頼は、同じものではない。後者は、なによりまず、死すべき生命の永遠性と耐久性よりはるかに優れている世界の永遠性と耐久性から生まれるのである。
事実をいえば、世界における人間の生命力は、一方で、生命そのものの過程を超越して、そこから遠ざかろうとする能力を常に含んでいる。ところが他方、活力と生命力は、人間が進んで生命の労苦と困難という運動重荷を自ら背負う限りでのみ保持できるのである。
労働の努力をかなり和らげることのできる道具や器具そのものは、労働の産物ではなく、仕事の産物である。つまりそれは、消費の過程に属するものでははなく、使用物の世界の中心にあるものである。
人類は、全体としてみれば、まだ豊かさの限界に達したとはいえないから、社会が、その繁殖力を阻むこのような自然的限界を克服する様式は、ただ実験的なものとして、国家的規模でのみ考えることができる。その場合、解決法は大変簡単に思える。つまり、すべての使用対象物を、あたかもそれが消費財であるかのように扱えばよい。
大量生産というものは、仕事人を労働者に代え、専門化を労働の分業に置き代えることなしには、まったく不可能である。
機械のおかげで、人間は、自然過程のサイクルが描くよりもずっと早い反復のリズムの中に追い込まれる。そして、この特殊に近代的な加速のおかげで、私たちは、すべての労働に固有の反復の性格を無視するようになる。ところが、実際は、この反復と過程の無限性そのものが仕事の過程にまぎれもない労働の刻印を押しつけているのである。
自然とは、いいかえれば、世界の真中で進行する生物学的過程のことであり、世界をとりかこむ自然の循環過程のことである。
ところが今や、私たちは、あたかも、この境界線を無理やりに開け放ち、たえず脅威に曝されている人間世界の安定を、このような自然に明け渡し、放棄してしまったかのようである。
永続性、安定性、耐久性という、世界の製作者である〈工作人〉の理想は、豊かさという、〈労働する動物〉の原理の犠牲となった。
私たちが労働者の社会に生きているというのは、ただ労働だけが、それに固有の繁殖力とともに、豊かさをもたらすように見えるからである。そして、私たちは、仕事を労働に変え、仕事を解体しつつ最小の断片にしてしまった結果、仕事は分業に委ねられることになった。
実際、人間の労働力は自然の一部であり、おそらく、すべての自然のうちで、最も強力な力なのである。
『人間の条件』ハンナ アレント/著、志水速雄/訳より抜粋し流用。
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