テート美術館展 光 ― ターナー、印象派から現代へ → https://tate2023.exhn.jp/works/
展覧会メモ☞
光は私たちの日常に溢れているため、存在することが当然であると考えられています。しかし光の伝達と拡散によって場の雰囲気が作られ、そのことが私たちの感情に作用してはじめて空間が知覚されるのです。このような光の性質や潜在的に知覚に訴える効果は、数世紀にわたって人類の科学的、かつ、創造的な探求の主題であり続けてきました。
▷ 対象化されえぬ「光」
暗闇に限らず、光そのものは限定されないがゆえに、その光源への距離は喪失を意味する。
たとえば光の発生は、当然のごとく暗闇を背景に、ある起点から測られたのだろう。
はじまりがあればおわりがある、はじまりがなければおわりはない。
光を生み出し、そこに近づくにつれ、暗闇を背後にし、光そのものへと向かう、それが現代か。
コンスタブルの自然の風景と人間の身体との対比と比率から一転、人間は等身大以上の脅威を歴史に刻みつづける。
わたしたちに備わるスケール、尺度、インフラは、等閑視することはできない事象…。
ジョン・ブレット
印象派は遠近法に基づく三次元的な空間を表象せず、絵画の物質性を強調して平面的な画面を構成し、さらに対象を大胆に切断したかのようなイメージを作り上げた。
細部を伝えるよりも全体の印象を作り出すことを好んだこと。
ライリーは、異なる色調の使用を「テンポ」を変えるものだと考え、色の組み合わせによって影を生み出し、それを「形の動きの構造に抗う」ものと考えました。
リヒターは、抽象絵画を「見ることも記述することもできないが、存在していると結論づけられる現実を視覚化する」ものと考えています。
ダン・プレヴィン
光が日常的なものであることをはっきりと示した。
オラファー・エリアソン
光によって色を知覚できるように働きかける
| ジュリアン・オピー
作品名
イメージの元となった場所に居合わせたときに耳にした音。
鑑賞者それぞれの記憶を呼び起こそうとしている。
| ジェームズ・タレル
「シャロウ・スペース・コンストラクションズ」シリーズ
「私の作品には対象もなく、イメージもなく、焦点もありません。対象もイメージも焦点もないのに、あなたは何を見ているのでしょうか。見ている自分自身を見ているのです」。
透過と等価 »