第十一章 全体主義運動 1
全体主義のプロパガンダ
社会のモッブ分子とエリート分子に対して全体主義運動が揮う魅力はプロパガンダとはほんど無関係であって、それはとりわけ、既成のものすべてを変革とテロルの嵐の中に投げ込むように約束するかに見える、ある激しいエネルギーに満ちた行動力が与える魅力である。それに反して大衆はプロパガンダによってしか獲得できない。
全体主義独裁は足場を固めてしまうや否や、イデオロギー教義とそこから生まれた実際上の嘘を本物の現実に変えるためにテロルを使う。
全体主義運動は非全体主義的な世界の中にいるかぎり、通常われわれがプロパガンダとして理解しているようなこともやはりやらないわけにはゆかない。
本質的な点は、プロパガンダの必要性を起こさせるのはつねに外部世界であって、運動の側が主体的に行なうのはプロパガンダではなく教義の徹底化と実現なのだということである。
プロパガンダはたしかに「心理戦」の不可欠な要素である。
つまり絶滅は一つのプロセスにーーそこでは人間は、もともと変えることのできない法則に従って必然的に生起する出来事をただ行ない、それに耐えるだけなのだーー組み込まれてしまったのである。
この事実無視にすでに示されているのは、事実などというものはそれを作り出す権力次第だという確信である。
なぜなら、世界を余すところなく監視し支配するときにのみ、全体主義的独裁は一切の事実を無視し、すべての嘘を現実に転化し、あらゆる予言を的中させることができるからである。
しかし全体主義運動がまだプロパガンダを必要としている間は、運動は、もはや人間的な住み家を提供し得なくなった世界の脆さを餌に生きている。
階級が特定の利害に結ばれてつねに特定の企てのために力を尽くし、たとえ不利な状況のもとでもその企ての実現を試みるのに対し、大衆は勝利それ自体、成功それ自体にしか関心を持たない。
大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それゆえに彼らには或る種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らには何の印象も与えない。大衆を動かし得るのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手に拵え上げた統一的体系の首尾一貫性だけである。あらゆる大衆プロパガンダにおいてくり返しということがあれほど効果的な要素となっているのは、大衆の呑み込みの悪さとか記憶力の弱さとかのゆえではなく、たんに論理的な完結性しか持たぬ体系にくり返しが時間的な不変性、首尾一貫性を与えてくれたからである。
大衆が認めようとしないのは、あらゆる現実の一要素をなす偶然性である。このように現実から想像へ逃避し、事実から目をそむけて歴史の必然性を信じようとする態度は、あらゆる大衆プロパガンダにとっての前提条件である。
全体主義プロパガンダの最大の難関は、一切の出来事が完全に首尾一貫し理解と予言が可能であるような世界を求める大衆の熱望に応えようとすれば、常識と衝突することを避けられないという点である。
『新版 全体の主義の起源 3』 ハンナ・アーレント/著、大久保和郎・大島かおり/訳
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