先行する未知の発明が生む猛威という大罪。
一人称の正当化に突き進む理論化の牽引は競争化を呑み込むように競合という常軌を逸した政治的な歯車の渦中へ投じられる。”つくる”に終始すれば見えてこない”つくられない”その後…。想定できないという欠如が生む過剰を「創造力」は持ち合わせていない。一方向でしかない正義は他方で欲動でしかなく、理念的な三位一体は表裏一体でしかないという愚かさは置き去りに、負の連鎖を断ち切れない虚脱感が絶望を生む。内部であり外部、その脅威に晒され愕然とする脆弱性を追体験することが歴史性なのだろうか。
素朴に「愚かさ」とは「わたしたち」への警告なのだろう。