mitsuhiro yamagiwa

2021-07-09

思考の身ぶりと協和

テーマ:notebook

波乱の時

 実際、理論の時間というものは、「隷属関係」や依存関係にしたがいつつ、起こりそうにないもの、うまくいかないもの、逸脱するものなどにつながれた時間なのであり、それゆえ他者によってずらされた時間なのである。それは、言語でいえば、人びとがよく使う「時間のメタファー」に相当する。しかも奇妙なめぐりあわせで、制御不能なものと破調をもたらすものとのこのかかわりあいがまさに象徴作用をうみだすのであり、象徴作用とは、首尾一貫性を欠いていながらそれでいて調和をもたらすもの、思ってもみなかったのに結ばれあうものの織りなす協和なのである。

 解説  

 日常生活の中で生き生きと語り行動する民衆が「他者」なのである。それは、私たちが通常話が通ずると信じている「他人」ではなくて、私たちの通念をしばしばくつがえしたり、狼狽させたりする「異者」なのである。

 「理性の不調や破綻は、理性の盲点だが、まさにこの盲点をとおして理性はもうひとつの次元に、すなわち思考という次元に到達するのであり、みずからではどうすることもできない定めとして異なるものに結ばれている。……日常的実践は、機会なくしては在りえない実践として、波乱の時と結ばれている。したがって日常的な実践は、時間の流れのいたるところに点々と散在するもの、思考という行為の状態に在るものといえるだろう。日常的実践は、絶え間ない思考の身ぶりなのだ」。

『日常的実践のポイエティーク』ミシェル・ド・セルトー / 著、山田登世 子/ 訳、今村仁司 / 解説より抜粋し引用