mitsuhiro yamagiwa

2023-08-06

記号過程

テーマ:notebook

連続性の外にある新奇性

 社会的事実には、それ独自の新奇な現実があり、先行してある何かーー心理的なものであれ、生物学的なものであれ、身体的なものであれーーによってではなく、ほかの社会的事実によってのみ理解されうる。

 象徴はその存在をインデックスに依存し、インデックスはイコンに依存する。このために、私たちはこれらの各々を独特なものにする何かを、それらもまたいかに互いに連続性の関係にあるのかを見失うことなく見定めることができる。

イコン性は記号過程のもっとも基本的な種類のものであるが、きわめて反直観的である。というのは、それは二つのものが区別されないプロセスを含むからである。私たちはイコンを、私たちが異なると知っているもののあいだの類似性を示す記号として考える傾向にある。

 記号過程は、本来の類似性あるいは差異の認識から始まるのではない。それは、差異に気づかないことから、つまり区別しないことから始まるのである。このためにイコン性が記号過程のもっとも縁の部分の場所を占めている。

 それが思考の始まりと終わりを印づける。

 イコンがあるので、思考は静止する。何かを理解することは、その理解がいかに暫定的なものであろうとも、ひとつのイコンを含んでいる。それは、その対象に似た思考を含む。それは、その対象の類似であるイメージを含む。このために、全ての記号過程は究極的には、より複雑な記号のイコンへの変容に依存している。

 もちろん、記号は情報を与える。それは、私たちに何か新しいことを伝える。差異を伝える。そのことが存在理由である。

 イコンとインデックスの論理的な関係は一方向的である。

 インデックスは情報を与える。それは直ちに存在するのではない何かについて新たな何かを伝える。

 イヌは座れという「語」を、あるふるまいに結びつけるようになる。

 忘れずにいるのは、あまりに多くの個別的な記号ーー対象の関係性があるからである。

 象徴的なものは、ディーコンが「創発」と呼ぶ動態の主たる例である。ディーコンにとって創発する動態とは、可能性の制約の特定の配列がより高次のレベルで、これまでになかった特性を生み出すものである。

 自己組織的な動態は、そこから創発しながら連続する、そのうちに収まる物理的なプロセスとは別のものである。

 つまり自己組織化によって特徴づけられる世界は必ずしも生命を含むわけではないし、生命の世界は必ずしも象徴的な記号過程を含むわけでもない。しかし生命の世界は、自己組織化するものであるに違いなく、また象徴的世界は生命の記号過程と入子になっているに違いないのである。

 ほかの創発する動態のように、象徴には独自の特性がある。象徴は、それ同士相互の体系的な諸関係によって指示する力を獲得する、という事実が意味するのは、インデックスとは反対に、指示対象が不在であっても、安定した指示の力を失うことはない、ということである。

 象徴的指示は、最終的に全ての記号過程と同様に、そこから創発するより基本的な物質的、エネルギー的、自己組織的な過程に結局は依存している。

 象徴的指示を創発するものとして考えるならば、象徴を介することで、指示はいかにして、世界の型、習慣、形式および出来事から影響にさらされているという質を完全に失わずに、徐々に世界から分離されるのかを理解できるようになる。

 パニックが消え去るときには、二元論に向かう特定の人間的な傾向がほかのものに解消されることに対する感覚を得ることにもなる。どこで見出されようとも、二元論は、創発するところから切り離されているかのように、創発する新奇なものを見る資材だと言えるかもしれない。

『人間的なるものを超えた人類学 森は考える』エドゥアルド・コーン/著、奥野 克巳・近藤 宏 /監訳、近藤 祉秋・二文字屋 脩 /共訳