Ⅰ じぶんにとって疎遠となった精神の世界
この精神の世界は断裂して、二重の世界と化する。
a 教養とその現実の国
精神は疎外によって現実的世界を獲得する
この世界がかたちづくる精神とは精神的な実在のことであり、そこではひとつの自己意識が浸透している。
自己意識の現実のありかたがもとづいている運動は、自己意識がじぶんの人格性を外から〔譲渡〕して、かくてみずからの世界を産出していながら、世界に対してそれがあたかも疎遠な世界であるかのごとく関係するというものである。
自己意識が妥当するにいたるのはむしろ、疎遠になることによって媒介された運動をつうじてのことである。
Buildung(教養)、Espèce(流儀)、Art(種、しかた)
外化は同時に手段であることあるいは移行することであって、その手段もしくは移行は、思考された実体を現実的なありかたに移すことにかかわるばかりでなく、逆にまた、規定され〔限定され〕た個体性を本質的なありかたへと置きいれることにかかわる。
矛盾は、現実的なありかたとはただちに普遍的なものであることから起こるのである。
個体の威力がなりたつのは、個体がみずからを実体に適合するようにすることにおいてであるからだ。すなわち個体はじぶんの「自己」を外化し、そうすることでみずからを対象的に存在する実体としと定立するということである。
当面の考察の課題ーー疎外こそが全体を可能とする
疎遠となることがそれ自身にとって疎遠となり、全体はこのような疎外をつうじてみずからの概念のうちで自身を取りもどすことになる。
『精神現象学 下 』G ・W・F・ヘーゲル/著、熊野純彦/訳より抜粋し流用。
« 外化