訳者解説
一 アレントについて
現代は大衆社会といわれている。大衆社会とはなにか。そもそも社会とはなにか。アレントによれば、社会とは、かつてギリシア=ローマ以来ヨーロッパの伝統の中に存在していた公的領域と私的領域の境界線が消滅し、それに取って代わって現われた第三の領域である。そこでは、人びとは、公的領域におけるように、公的な光を避けて完全なプライヴァシーの中で生活することもできない。画一主義が支配し、人びとは自分を他人から区別するために活動するのではなく、他人にならって行動する。大衆社会とは公的領域も私的領域も完全に消滅した時代の社会にほかならない。
大衆社会の文化、つまり大衆文化とは、消費の文化である。
こうして大衆文化においては、最も世界的な物である芸術作品でさえ、保存の対象から消費の対象になる。
アレントは現代人はますます世界を失い、世界から遠ざかっていると考える。この世界疎外という概念こそ、彼女の危機意識の鍵概念であろう。
デカルト以来、近代哲学は客観的な世界のリアリティへの懐疑から自分の内部の意識に眼を向けるようになり、そこに実在の固い基盤を見いだそうとした。この内省的方法がなにをもたらしたかは別として、それ以来近代人は世界の固いリアリティを失った。
今日の科学が与えている世界像は世界のリアリティではなく、なにか人間の精神がつくりだしたパターンのようなものにすぎないということである。私たちは世界をもはや永遠に理解できない地点にまで不可逆的にきてしまっているのではないか、というのがアレントの根本的な懐疑なのである。
彼女がしばしば試みている語源学的方法は別にペダンチックな古典趣味からきているのではなく、むしろ彼女の言葉の真の意味におけるラディカリズムによるものである。この方法は現代において常識とされている事柄が人間の歴史の中ではいかに異常なものかを明らかにする上で極めて有効である。
二『人間の条件』について
「労働」が生みだす「生産物」は耐久性のない消費物であり、「仕事」が生みだす「生産物」は人間の消費過程を超え、それにいわば存続するように作られた物である。
「労働」が消費と結びつき、人間の肉体的生命の維持に専心する「活動力」だとすれば、「仕事」は消費に抵抗し、人間の個体の生命を超えて存続する「世界」(world)の物をつくりだす。この「世界」というのは、もちろん世界地図という場合の世界でもないし、地球という意味でもない。それは、人間が個体の生命を超えて存続するように作った「人間の工作物」(human artifice)全体を指す。これは、過去から未来へ流れる人間の各世代がある一定の期間、つまり生から死までの期間、そこに留まる住家である。
「活動」の「生産物」は、その耐久性という点から見ると最も短く、もろい。
「活動」の「生産物」は「演技」そのものである。
奇妙なことに「活動」については西洋の伝統ではそれにふさわしい人格化が行われていない。
最初「活動的生活」よりも優位に立っていた「観照的生活」は、真理は自ら姿を現わすという啓示への信念が崩れてから、まったく無意味なものになった。
活動にかわって仕事=製作が自己主張を始める。
活動ー仕事ー労働という順に並んでいたヒエラルキーは、仕事ー活動ー労働へと変化した。
さらに近代になると、この関係は、労働ー仕事ー活動と完全に逆転する。
「労働」が人間の生命の維持にのみ専心する以上、キリスト教の勃興以来、西洋の伝統の一部となってきた最高善としての生命が、生の哲学として復活した。
こうしてアレントの眼から見ると、現代世界は、「社会化された人間」(マルクス)がその巨大な胃袋を満たすためにすべてを消費する過程のように見えるのである。
アレントが本書の中で試みようとしたもう一つの企ては、「公的領域」(the public realm)と「私的領域」(the private realm)を概念として明確にし、その上でこの領域が西洋の歴史の中で蒙ってきた変化を跡づけることである。
「公的領域」においてこそ、人びとは自分は何者であるかその「正体」(who)を暴露し、他人との差異を明らかにする。そしてこの演技の場である「公的領域」においてこそ、人びとは、単に生きるための必要物〔必然〕の支配する領域である。というのも、そこでは個体の肉体を維持し、種の生命を持続させることが最大の関心事となっているが、肉体を維持するというのは、とりもなおさず自然が押しつける必然に従うことにほかならないからである。また「活動力」との関連でいえば、「公的領域」では「活動」が前面に現われるのにたいし、「私的領域」を支配するのは「労働」である。
「活動力」の内部のヒエラルキーに変化が起こり、「労働」が勝利を収めるに従って、従来明確に区別されていたこの二つの領域の境界線は曖昧となり、それに代わって「社会」(Society)が勃興する。
そしてこの「社会」では自分が他人と異なる卓越を示す「活動」に代わって、自分が他人と同じであることを示す「行動」(behav-ior)が人間を規制する。「公的領域」においてのみ現われる栄光と自由こそ彼女の中心にある最高の観念なのである。
昭和四八年三月
志水速雄
『人間の条件』ハンナ アレント/著、志水速雄/訳より抜粋し流用。