〔身体は空間のなかにはない、それは空間に住む〕
身体は空間と時間に住む。
先行する姿勢や運動が、いつでも使える尺度を、たえず提供しているのである。
身体は、必然的に「ここ」にあるのと同様、必然的に「今」実存している。それは決して「過去」となることはできない。
私は空間、時間のなかにあるのではない。
私は空間と時間に臨んでいるのであり、私の身体はそれらに自己をおしあて、それらを包み抱く。
私の身体はその世界をもち、もしくはその世界を了解しているのであるが、そのために「表象」を通過しなくてはならないというわけではなく、また「象徴機能」あるいは「客観化機能」に従属するわけでもない。
「運動機能は、表象された空間という領域のなかで、いっさいの意義の意味がはじめて創出される原初的な区域である」
『知覚の現象学』M.メルロ=ポンティ/著、中島盛夫/訳より抜粋し流用。