mitsuhiro yamagiwa

2021-04-18

Spotlight

テーマ:notebook

 情動的共感が情動的、感情的な働きであるのに対し、哲学者や心理学者が「心の理論」とも呼ぶ認知的共感は、認知的、理性的な働きであるとも言えよう。

著者が特に問題にしているのは、これらのうちの情動的共感のほうであり、認知的共感に関しては、善き行為にも悪しき行為にも関与し得る中立的なツールと見なしている。

  情動的共感は射程が短く、見知らぬ人々より身内や知り合い、あるいは身元がわからない多数の匿名の被害者より、身元が明確にわかる少数の被害者を優先する郷党的な先入観が、無意識のうちに反映されてしまう。著者はこれを数的感覚のなさ、あるいはスポットライト効果と呼ぶ。

  ツイッターは、「140文字の字数制限によって、自分の主張の根拠を述べない格好の言い訳を与えてくれる」「タイムラインに短期間表示されるだけである」「チェリーピッキングした根拠薄弱なツイートをリツイートによって瞬時に発信することができる」などといった刹那的、断片的な特質を持つにもかかわらず、リツィートの連鎖を通じて短期間で驚くほど広範に拡散する浸透力をも合わせ持つ。

  私はつねに、〈ツイッターはインターネットの扁桃体[情動反応に関与する脳の組織]〉であると考えてきた。メッセージのスピード、短さ、拡散力など、その役割を果たすには格好の要素を備えているからだ。ツイッターが持つこれら直感的な側面は、必要なフィルターをバイアスして、情動システムを繰り返し呼び出す。

  もっと何かを感じようと、もっと自分を感じようとして、私たちはオンライン接続しようとする。しかし実体は、性急にオンライン接続しようとすることで、孤独から逃げているのだ。こうして一人で自己に集中する能力が退化していく。一人でいるときに自己のアイデンティティに確信を持てなければ、自己の感覚を維持するために他人の力をあてにせざるを得ない。すると今度は、他者を他者として経験することができなくなる。自分に必要なものを、他者からこま切れに受け取ることしかできなくなるのだ。これは脆弱な自己を支えるために他者を交換可能な部品として扱っているに等しい。 シェリー・タークル

  まさに自己の拠って立つべきアイデンティティまでもが、今や一介のメディアによって強力な影響を受けているのである。
そしてそこでは、他者(とりわけ自分と見解を共有しない他者)はくだんの高校生のように、全的人間としてではなく、こま切れに扱われる。


『反共感論』ポール・ブルーム/著、高橋洋/訳、訳者あとがきより抜粋し引用