
展覧会タイトル「リミナル」は「考えも及ばない何かが出現する一時的な状態」を意味します。
不可能なことや想像もできないことを経験するにはどうすればよいのか?展覧会はどのようにして新しい主体性を構成するのか?現実とフィクションの境界を消し去り、この展覧会は、人間と非人間が共存し、異なる時間と空間が予期せず重なり合ったり離れたりして、絶え間ない進化と学習をもたらす新しい領域を提案します。
https://www.leeumhoam.org/leeum/exhibition/85?params=Y
雨音という水滴、声なき声…。
無表情な身体の異変⁈
深奥な背景の背後へ誘い、認識されぬ感知、その領域へ
わたし〈たち〉の認識の限界、光あるところのみに限定されぬ“無限の表面”、暗闇という深層部に…。
直線的ではない奥行き、前後間から上下間、その細部へ
凹みや穴、その窪みの陰から“影”は発生する…。



いずれ訪れるであろう平等という描画、それらは普遍化されぬ生物界の危機⁈
脳で認知しえない身体の問題は、認識の機械化を余儀なくさせる…。
チリのアタカマ砂漠で発見された埋葬されぬ骨格は“形而上学的な変換”を促す。新たな機械文明は白骨化した人間界を感知するテクノロジーとして読み込まれ、皮肉にもそれらを支え続けるだろう。
混沌を切り抜ける術として、、、
“ユクスキュルの環世界”
「蜘蛛の気持ちになること、蟻の気持ちになること、それは到底無理なことである。外から見た他者の特性は、結局は傲慢な解釈ではないだろうか。そうした視点を示している。」