mitsuhiro yamagiwa

2021-05-28

継続と持続

テーマ:notebook

第五節 時間性格による諸表象の変遷

 人間という表象[=概念]に「今」を加えたとしても、人間[の属性]についてなんらかの徴表を獲得するわけではなく、したがって人間[の属性]についてなんらかの徴表が表示されるということにはならない。
 これは全く明証的な自明なことであるが、現にあるものはすべてそれが既在したものであることの帰結として生ずるのであり、また未来に既在するものは、それが現にあることの帰結として存在するからである。


 第二章 時間意識の分析

 第七節 時間客観の把握を瞬間的把握とする解釈と持続的作用とする解釈

 一般に、なんらかの全体や区分可能な諸契機の多にかかわる各意識(つまり関係意識や複合意識)は不可分な一時点でその対象を包括するものとされ、しかもそれが自明なことと思われている。ともかく意識が、継続する幾つかの部分をもつある全体に向かっている場合に、その意識がこの全体の直観的意識でありうるのは、それらの部分が代表象の形をとって一緒に現われ、瞬間的直観へと統合される場合に限られるのである。
 時間的客観の知覚それ自身が時間性をもち、したがって持続の知覚それ自身が知覚の持続を前提していること、つまり任意の時間形態の知覚それ自身が知覚自身の時間形態を有していること、は勿論明証的である。
 一つ一つの音それ自身が時間的延長を有し、それが鳴らされると私はその音をいまとして聞くのである。しかしその音は鳴り続けるにつれ次々に新しい今を獲得し、そしてそのつどの先行する今は過去へ変移してゆく。したがって私はそのつどその音の顕在的位相を聞くにすぎず、持続する音全体の客観性は作用連続体の中で構成されるのである。そしてこの作用連続体の一部が記憶であり、その極点の、点のごとき部分が知覚であり、そしてその他の部分が予期である。


 第八節 内在的時間客観とその現出様式

 同じ持続が顕在的に形成されているいまの持続であり、そしてやがてそれが過去の《経過した》持続、なおも意識されていない持続、または想起によって《いわば》新たな産出された持続となるのである。いま鳴っているこの同じ音がそれ以後の意識の流れの中では「その音はかつてあったもので、その持続はもう経過してしまった」と言われるのである。《私が対象から遠ざかる》と、空間内の静止した対象の諸点が私の意識にとって遠ざかっていくのと同じように、時間持続の各時点も私の意識にとっては遠ざかっていくのである。ちょうど対象がそれ自身の場所を堅持していくように、音はその時間を堅持し、確認時点はその位置を変えない。しかしそれぞれの時点は意識の遠くへ逃げ去り、産出的な今との隔たりは次第に大きくなってゆく。つまり音それ自身は同じであるが、しかし現出する音の《ありよう》は常に異なっているのである。
『内的時間意識の現象学』エドムント・フッサール/著、立松弘孝/訳より抜粋し引用