mitsuhiro yamagiwa

2022-04-03

無意志への意志

テーマ:notebook

第 4 章 科学的自己

なぜ客観性なのか

 客観性と主観性は、凹面と凸面のように切り離せないものであるーーそこでは、一方がもう一方を定義している。一九世紀半ばにおける科学的客観性の登場は必然的に、科学的主観性の登場と表裏一体の関係にある。主観性とは内なる敵であり、それと闘うために途方もないほどの機械的客観性の手段が発明され動員された。これらの手段がしばしば自己抑制、自己訓練、自己制御に訴えかけているのは偶然ではない。つまり、もっとも大きな認識論的な危険と考えられたのは、もはや可変的な自然でもなければ、言うことを聞かない画家でもなく、科学的自己となったのである。信用ならない科学的自己は、客観性そのものと同じくらい新しい。一方は他方の裏側であり、写真のネガである。「なぜ客観性なのか」という問いは、「なぜ主観性なのか」という問いになるーーあるいはもっとはっきり言えば、「科学者の主観(主体)とは誰か」ということである。

科学者の主観(主体)

 主観性とは、カントおよびカント以降における客観と主観の対立という枠組みのもとで初めて概念化され、おそらく初めて現実化された特定の種類の自己のことを指す。すべての人間は、どの場所でもどの時代でも意識を経験しているし、内面性すら経験しているのだろう。だが私たちが使う「主観性」は、こうした経験のことを言っているのではなく、これらの経験のなかの特定の種のことである。主観性とは、自己という属のひとつの種にすぎないのだ。

 個人の同一性はクモの巣のように脆弱で、記憶と意識の連続性によってのみ保証される。網の起点における理性の支配力は、つねに内側(気まぐれな想像力と網の分岐からの蜂起)からも外側「受容的な網を通して記録される感覚の弾幕)からも脅かされている。ここで自己とは、ほとんどの場合、受動的で浸透的なもので、環境によって形づくられるものである。それとは対照的にカント以降の自己は、能動的かつ統合されたもので、生の感覚を首尾一貫した経験へと融合させるために必須の前提となる哲学的な存在としてあらわれたものである。動的で自律的な意志の周囲に組織化された自己は、世界に働きかけ、自分自身を外向けに投射していく。知覚さえも、玄関に来た訪問者のように綿密に吟味される。

 すなわち自己ーーひとつの「主観(主体)」ーーとは、客観的な世界と対等でありかつ対立するものである。

 華々しく個人化された芸術のスタイルは、独立した私的精神を表現するものだったし、同時にそのような精神を刺激することにもなった。

 真理や客観性や正確さの探求において、エートスと認識論とは明示的に結びついていた。自己を排除して科学的知識を追求するどころか、それぞれの認識的徳は、ほかの特徴を犠牲にして[自己の]何らかの特徴を養成するものだったのである。

 主観性は客観性を説明するものではなく、必然的に付随するものにすぎないのではないのか、と。私たちは表面的であるという点については、ある意味でそれこそが重要な論点だと答えなければならない。

 私たちは、場合によっては同じ水準にある事柄のあいだの関係を明らかにし、見る角度を広げることの方が、より多くのことを教えてくれると考えているのだ。けれども私たちは、そのような説明が「表面的」という言葉に含まれる侮辱的な意味合いで薄っぺらいとは思っていない。この説明はパターンを明らかにする。それは、たとえ歴史の成り立ちが偶発的なものであったとしても、だからといってそれが脈絡のないごた混ぜやキメラであるわけではないということを示してくれるのである。また、これらのパターンにおいて諸部分がどのように組み合わさっているのかを明らかにする説明がトートロジーだとも思わない。むしろ私たちは、なぜそれをトートロジーだと誤って思い込んでしまうのかを説明しようとしているのである。二つの概念、二つの認識論点、二つの倫理、二つの生き方が、いかにして緊密にーーしかも私たちは必然の世界ではなく歴史の世界に生きているので偶然にーー絡み合い、両者の関係がほとんど自明なまで見なされるようになったのだろうか。これが客観性と主観性の謎である。

科学者のなかのカント

 主観とは個人のこと、ここでは視る者のことであり、客観とはその人物を覗くすべてのことである。『色彩論』(一八一〇年)

 感覚とは違い、客観的に妥当な概念はまったくもって心理的なものではない。とはいえそれらは形而上学的な概念というわけでもない。

 理性がどれほど努力しても、物自体の本性は、少なくともそれが私たちの外部に存在する限り明らかにすることはできない。

 カントは、経験とは意識の一定の構造を前提とするだけでなく、世界が意識に表象されることを前提とすると論じている。

 理論は次から次へと、かつてないほどのテンポで取って代わられていく。そして諸事実は、互いに矛盾する結論を支持するようになっている。

 「人類は真理の所有のためでなく、真理の探求のために生まれたのである」。

 法則は意志に対して「客観的な力」として立ちはだかっている。意志が知覚を変えることができるかどうかが、客観的なものと主観的なもののあいだに境界を引く。その境界は経験によってのみ見極められるもので、アプリオリなカテゴリーによって区分されるのではない。

 理性と判断は想像力を手なづけるためだけでなく、感覚を意味あるものにするためにも必要とされた。学者は無数の個別の事実を比較して、安定した一般的事実へと総合する。

 機械的客観性を支持するということは、意志を内側に向けること、自己による自己の根絶という、格別の称賛に値する犠牲を捧げることであり、それは意志の崇高な行為なのである。

 自らの内側へと向かっていくのは病者だけである。

 すべての主観的な特異性ーー個人の天才的な明敏さであってもーーを抑えつけることだけが、後々まで残る客観的な図像をつくりだすことができる。その一世紀前にゲーテは、同じように固い確信と配慮をもって、観察のなかに理念を見出すためには、洞察力と総合的判断が必要であると主張していた。

 しかしながら自己は、模範と統制的理念だけによってつくりあげられるわけではない。ひとつの生き方を実現するためには、きわめて特殊な実践をつくりあげ養成しなければならにない。教訓と実践の間をつなぐためには、これまでの認識論と自己一般との本質的な連関についての議論だけでなくーーそして科学的な客観性とそれにともなう新しい種類の科学的自己の出現についての議論だけでなくーー、さまざまな自己のテクノロジーについてのさらなる事実を見ていくことが必要がある。

観察と注意

 観察とは科学において継続されてきた本質的な実践であり、観察者の自己と密接に結びついている。観察は感覚を訓練して締めつけ、身体を不自然な姿勢に押しこめて忍耐を課す。さらに少数の選ばれた対象に注意を集中して残りを切り捨て、これらの対象に対する美的かつ感情的な反応をパターン化する。

 彼らは、刻一刻と移り変わる現象の底流にある不変のものーー不変ということは逆に、一定の種類の現象についての長期にわたる研究を通じてしか見出されないものーーとしての真理を追及していた。

 自然はあまりに可変的なのだ。個々の観察は、つねに個別の状況によって条件づけられている。したがって一八世紀の博物学では、単調な観察を繰り返すことが重要とされた。

 自己の統一性は、科学的観察やそこから導かれる推論の統一性と同じように、持続性と正確さ、そして記憶の大きさにかかっている。

 自己とは意識された記憶であり、記憶自体は日記のように組織化されたものである。したがって日記は、単なる記憶の補助にとどまらないものである。それは形づくり、つなぎあわせて個人の同一性ーーもしくは科学者の観察眼をつくりだすのである。

 科学的自己の統一性は、記憶と理性によるものだった。また科学的観察の対象の統一性は、注意の行使にかかっていた。私的な日誌が記憶を補助して時間を越えた自己の連続性と一貫性を保存するのである。注意とは、心的能力であると同時に科学的実践として理解されるものだった。それは無数の印象を融合し、探求の対象となる統合された典型的なものをつくりだしていくのである。

 「天才とは、一般的な観念に注意を向けることにほかならない。そして、注意そのものは観察の精神にほかならない」。
 しかしながら、「観察の天才」の核心には矛盾の可能性がはらまれていた。

 観察において注意と能動的な選択を一体化させることによって、啓蒙期の学者は注意を抽象化という形にまで高めることができるようになった。この二つを同等に結びつけるのは、一見するとパラドクシカルに思えるかもしれない。もちろん注意は個物へ、しばしば微細な個物へと向けられている。それにもかかわらず注意が感覚の寄せ集めから一般的な探求の対象を組み立てる役割は、一般化を追求する心の能力と類似したものである。ボネによれば、抽象化とはいくつかの特徴に注目することによって「知覚可能な抽象、すなわち目に見える〔与えられた〕種のすべてのの体を代表する特徴」を見出すことである。ここで重要なことは、ボネが自己の感覚もまた、同様のプロセスから生まれると考えていたことである。心が選択的に注意を向けるのは、知覚し、感覚をおのれのものとしていくものに関係する観念だけである。このような経験を通じて、心は「自らの存在という概念」にいたるというのだ。注意は知識の対象と主体のそれぞれをつなぎあわせていく。それらはともに、おびただしい量の感覚の断片から組み上げられたものなのである。
 これらの啓蒙期の学者にとって注意とは、まず第一に欲求の問題であり、一種の視覚的な消費の問題として考えられていた。だがその欲求は、習慣によって訓練することができるものである。注意の対象に嫌悪感を覚えてしまったり、注意を向けることに退屈を感じてしまったりすることは、意志によって自己を支配することで防がれるのではない。意図的に自分を騙すことによって、自己を満足させることで成し遂げられるのだ。

 意志の仕事が実質終結するのは、大抵の場合、本来は歓迎されてない対象が、われわれの意識にありのままの姿で存在することが達成されたときである。「注意の緊張」「本来は歓迎されていない対象」というフレーズから示唆されるように、注意の努力は誘惑ではなく、煩わしい義務として理解されている。

 意志の作用として注意を実践すること、意志をもっておこなう仕事として科学を探究することは、世界をつかみ取り、操作し、尋問するポスト・カント的な能動的な自己とも矛盾なくかみあっていた。

 実験家としての科学者は、論証し推論する。観察者としての科学者は、論証をすべて忘れ、ただ記録するだけである。このように分離した科学者の人格は、実践においては能動性と受動性のあいだの緊張関係と対応していた。それは一九世紀半ばの科学者が、内面における意志に対する意志の闘争と考えていたものである。

知る者と知識

 分裂した科学的自己、すなわち自己の受動性を能動的に意志する自己は、客観性・主観性の弁別によってつくられた場に生まれてくる自己のひとつにすぎない。その対極にあるのが、科学的自己と同様にステレオタイプ化され、標準化された芸術家自己である。

 芸術家にとって奴隷のように「自然をコピーする」のは、想像力を切り捨てるだけでなく、シャルル・ボードレールをはじめとする反リアリズム批評家らが偉大な芸術にとって本質なものと信じていた個性をも切り捨てることだった。主観的な芸術とは、意志を行使して外部化することを促し、さらには要求するものである。

 客観性は意志を重要なものと見なしたが、その意志は自己に向けて内面的に行使されるもので、自然に対して外面的に行使されるものではなかったのである。

 遠近法で描かれた絵画の消失点で平行線が交差するように、客観的な科学と主観的な芸術は収束し、自己は対象のなかに溶け込んでいく。

 ニーチェの考えでは、「積極的性質」としての客観性は、二つに分けられた自己、すなわち主観的と客観的、能動的と受動的、意志と世界などを再びひとつに戻す。「愛しながら没入する」という行為で知る者と知られるものを統合することによって、禁欲主義に陥ることなく、世界に身をゆだねることになるのである。

 ニーチェの「積極的」客観性は芸術家にとっても科学者にとっても幻想にすぎなかったかもしれない。とはいえ、それは根の深い問題への解答として提案されたものだった。客観性とそれを実践する科学的自己は、内在的に不安定なものだったのである。客観性は自己を能動的な実験家と受動的な観察者に二分することを要求した。

 客観性を志すことによって、科学者は真正性を持たないと非難された。自己が分裂して自己自身に対立しているのだ。これらは倫理的な非難であった。

『客観性』ロレイン・ダストン/ピーター・ギャリソン/著、瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪/訳より抜粋し流用。