mitsuhiro yamagiwa

2022-12-05

新しい調和

テーマ:notebook

三 現代物理学の原理的諸問題

 新しい連関を見つけ出すということそれ自体は、以前とは質的に異なる概念世界の中に突進する可能性をわれわれに与えてくれるところの新しい境地ヘと導いていく。そのように相対性理論と量子論とは、直観的概念の領域から抽象的な新しい大地へふみ入る決定的な第一歩をなすものであり、ここにおいて発見された連関の性格を、この歩みを、ふたたび、あともどりさせることができはしないか、という疑惑をさしはさむことを断じて許さない。

 すなわち、われわれは多かれ少なかれ複雑な装置を用いて自然への問いを提起するが、この問いは、いつでも、空間と時間における何らかの客観的な経過を確定することに向けられている。

 つまり、理論というものは新しい思惟可能性を開き、しかもそうすることによって理論の状況の現実的な転向とか、問題提起の変更とかを余儀なくさせるものでなくてはならぬのである。言いかえるならば、理論は、それの妥当する自然の領域における、これまで知られていない新しい調和をもたらすものでなくてはならぬわけである。

 最後に、まったく一般的に、つぎのようにいっても、おそらく、さしつかえなかろう、現代物理学の諸概念もまた、なおさらに、修正されなくてさならぬ、という推測は、懐疑主義と解されるべきではあるまい、むしろこれとは反対に、われわれの経験範囲を拡大することが、ますます新しい調和を光明にてらしてあらわするであろう、という確信をいい表わしかえたにすぎない、と。

四 現代物理学における古代自然学の思想

 新しい経験の範囲は、これを限定する法則が数学的に簡単に定式化されるにおよんで、はじめて、その内的連関がわれわれに理解されたかに思われるのである。

 音楽的調和の根底にある、有理数的関係を理解することは、楽器をつくるとか、または音楽を積極的に創造しようとするものにとっては、必要である。だかしかし、音楽の本来の内容は、精神がかの有理数の比を無意識にとり入れているうちに、われわれに打ち開かれてくるのである。同じように、数学的に定式化された自然法則を意識的に知ることは、実例をめざして積極的に物質的世界に関与するための前提ではある。しかしながら、その背後には、なお、自然の直接的な理解があり、しかもその理解たるや、自然の数学的構造を無意識に受け入れ、精神のうちでこれを模像するものであり、自然に対して、より一層親しい受容的な関係に立とうとしている、ありとあらゆる人びとに理解されてくるものなのである。

五 現代物理学に照らして見たゲーテの色彩論とニュートンの色彩論

 ゲーテは、予期される色の現われを観察するために、一度、プリズムを通して見る機会をとらえる。

 明るい平面と暗い平面とのあいだのさかいめに色づいた縁どりが生ずること、を発見して大いに驚く。これによってゲーテは、「色を生ぜしめるには、境界が必要である」ということを認識する。この発見はニュートンの色彩論に矛盾しているとゲーテは信ずるのだが、これが今や光の屈折における色の発生に強く没頭することへの誘引となる。

 かくして、色は明と暗との結合から生ずるものであって、ニュートンが教えるように、ひとり光のみからではない、とゲーテは結論する。

 眼そのものにおける出来事によって制約され、したがって、本来はわれわれの感覚による「錯覚」にもとづく色をこそ、ゲーテはとくに入念に取りあつかっている。

 すなわち、客観的なものから主観的なものを分離するということは、物理学者には研究のための第一前提であるかに思われるーー諸要素が意識的に結びあわされているということもある。

 われわれの感覚に、密接に近親的かつ相関的に現われる諸事象は、その原因を探求するとき、しばしば、こうした相関性を失うものなのである。

 近代の自然科学においでは、きわめて早くから、実在を客観的なそれと主観的なそれとにわけることが始まっている。このうちの第二のものは必ずしもすべての人間に共通するものではないけれども、客観的な実在は、いつでも、同じように、外部から人間におしつけられるものであり、それ故にこそ研究の対象にされているわけである。

『自然科学的世界像』W.ハイゼンベルク/著、田村 松平/訳より抜粋し流用。