mitsuhiro yamagiwa

2022-08-22

内在する方法論

テーマ:notebook

 わたしたちはつねに人間でありつづけてきた、あるいは、わたしたちは人間でしかない。少しでも確信をもって、誰もがそう断言できるわけではない。西洋の社会・政治・科学におけるこれまでの歴史的契機は言うに及ばず、現在でもなお、わたしたちのなかには完全には人間とみなされていない者がいるのだ。

 わたしたちが〔ヒトという〕種に示す愛着は、それがあたかも既成事実や所与のものであるかのようである。それこそ〈諸権利〉という根本的な概念を〈人間〉なるものを中心に構築しているくらいだ。だが、本当にそうなのだろうか。

 すなわち、わたしたちの種、わたしたちの政体、そして、わたしたちがこの惑星の他の居住者たちと取り結ぶ関係にとって、共通の参照項となる基本的単位とは厳密にいって何なのか。

 自然的なものと文化的なものというカテゴリーのあいだの諸々の境界は、科学技術の進展がもたらす影響によって位置をずらされ、かなりの程度まで曖昧になってしまった。

 より具体的には、ポストヒューマンの時代において理論が果たす機能とはどのようなものか。

 「人新世」とは、〈人類〉がこの惑星のすべての生命に影響を与える地質学的な力をもつようになった歴史的な契機のことである。さらに言えば、ポストヒューマン理論は、わたしたちが、人間の行為者と人間以外の行為者の双方と地球規模で相互作用をおこなうにあたっての基本的な教義を再考する手助けともなりうるだろう。

 グローバル化とは、一連の相互に関連した専有の様式を介して、地球という惑星をあらゆるかたちで商品化するということである。

 こうした生命組織のグローバルな商品化と対応しているのは、動物自体が部分的に人間化されてきているということだ。たとえば生命倫理の分野において、動物の「人」権という論点が、それらの行き過ぎに対する対抗措置として提起されている。動物の権利を守ることは、ほとんどの自由民主社会において注目されている政治的な問題なのである。この投資と虐待の組み合わせは、先進資本主義そのものから生じた逆説的なポストヒューマン的状況であり、それが多様なかたちの抵抗を引き起こす。

 こうして安全性が失われた状況の結果として、変化ではなく、保存と生存こそが社会的に強要される目標になっている。

 人文学に内在する人間中心主義と、人文学が方法論的に抱えるナショナリズム

 つまり、人間の品位や多様性の尊重、誤った普遍主義の拒否、そして積極的な差異の肯定、さらには学問の自由、反人種主義、他者に対して開かれた態度や友好性といった諸原則である。

 わたしたちの集合的および個人的な次元における強度や創造性は、人間的な、あまりに人間的な、諸々の資源や限界によって枠づけられている。ポストヒューマンなるものへのわたしの関心は、ある意味でこのことにわたしが感じているフラストレーションを如実に反映している。

 わたしたちは、目下経験している根本的な変容に匹敵できるような、主体形成についての新しい社会的・倫理的・言説的図式を考案しなければならないのだ。それはつまり、わたし自身について異なったしかたで考えることを学ばなければならないということである。

 ポストヒューマン的状況は、わたしたちが実際に誰に、そして、何に生成変化しようとしつつあるのかについて、批判的かつ創造的に思考するようわたしたちに駆り立てるのである。

『ポストヒューマン―新しい文学に向けて』ロージ・ブライドッティ/著、門林岳史/監、大貫菜穂、篠木涼、唄邦弘、福田安佐子、増田展大、松谷容作/共訳より抜粋し流用。