mitsuhiro yamagiwa

第十ニ章 全体的支配

1 国家機構

 全体的支配というものの持つ無構造性、あらゆる物的な因子や利害の無視、合目的的な考慮や単純な権力欲にわずらわされないこと、これらのことは、政治というものが何よりもまず物質的な幸福と安全のためにできるかぎり合目的に配慮を行なうべきものと理解されているこの世界において、一切の政治的行為をまったく予測不可能なものにしてしまった。全体的に支配は諸国民の生活の中にそれまでなかった権力原理および現実原理を投げこんだのであるから、過去にしか学ぶところのなかった非全体主義世界の常識は、この新しい組織体の客観的な力を判断することも見積もることもまだ全然できなかったのだ。だから唖然としてこれを外から見守っている連中は、全体主義組織の、また全体的支配の抱えている秘密警察の恐るべき効力を正しく評価し、そしてそのために全体主義諸国の物質的な力を過大評価する過ちにおちいった人々と、全体主義経済の非能率性を見て取り、一切の物質的および経済的要因の無視という条件のもとでそこに生み出さるている権力のポテンシャルを軽視する人々に分かれた。

2 秘密警察の役割

 党は国家とほとんど同一であって、独自の権力中枢をもはや持たないのだ。

 人間というものは物事を知り経験するためには、彼の知ったこと経験したことを理解し確認することのできる他の人々を必要とするのだから、各人が何らかの形で知っているが声に出して言うことはできない事柄は、一切の具体的現実性を失って、すべての領域とすべての人間活動をひとしなみに支配して人を悩ませる漠然たる不確かさおよび不安という形でしか存在し得ない。

 さらにまたわれわれは、いかに多くの人間が現代の状況下で人生の重荷を担い、かつそれに堪える能力がますます自分に失われていくのを知って、自己決定を奪うとともに自分自身の生活についての責任をも解除してくれる体制に自分の意志で服従するかを知ってはいないが、しかしそれを感じることはできるのである。

 われわれは全体主義の秘密警察のやり方とその特殊な機能を知ることはでき、それについて述べることはできる。しかし、もしかするとこの秘密結社の〈秘密〉は、現実に〈大衆時代〉の中で生活を送らなければならない人々の秘められた願望にいろんな点で対応しているのではないかという問題は、未解決のままなのだ。

3 強制収容所

 全体的支配は無限の多数性を持ったすべての人間が集まって一人の人間をなすかのように彼らを組織することを目指すのだが、すべての人間をつねに同一の反応の塊りに変え、その結果これらの反応の塊りの一つ一つが他とと交換可能なものとなるまでに持っていないかぎり、この全体的支配というものは成立し得ない。ここで問題なのは、現に存在しないもの、つまりその唯一の〈自由〉といえば「自己の種を維持する」ことにしかないような種類の人間といったものを作り出すことなのだ。全体的支配は精鋭組織に対するイデオロギー教化と同時に収容所における絶対的テロルによってこの結果に到達しようとする。

 収容所は単に皆殺しと個人を辱めることのためにあるのではなく、科学的に精確な条件のもとではつねに同じ行動をする物、つまり動物ですらない物に変える恐るべき実験のためにもある。

 常識によるあらゆる説明も、歴史上のいろいろな事実を比較することも、先例を持ち出してくることも、すべて結局「恐ろしいことを考えつづける」ことを「浅薄」としてしりぞける人間を励ますだけだろう。

 人間の想像力が数千年も前から人間の能力を超えるものと見なしていた事態が、実は人間の手で作り出せないものではないということ、それがまったく突然に判明したのだ。

 最悪の人間はその恐怖を失い、最善の人間はその希望を失ったのだ。

 強制収容所という実験室の中で人間を余計なものにする実験をしようとした全体的支配の試みにきわめて精確に対応するのは、人口過密な世界の中、そしてこの世界そのものの無意味性の中で現代の大衆が味わう自分自身の余計さである。

 人間を余計なものにするために全体主義の発明したさまざまな制度の恐るべき危険は、急速に人口が増加し、同時にまた土地を失い故国を失った人々も着実に増えていくこの時代においては、いたるところでいつも無数の人間が、功利主義的に考えるかぎり実際に〈余計〉になりつつあるということにある。

『新版 全体の主義の起源 3』 ハンナ・アーレント/著、大久保和郎・大島かおり/訳