第五章 「公」と「私」
十九世紀以前には、自己に近いこの領域は、自分だけの、もしくは他人とは違った独自の個性の表現のための領域とは考えられていなかった。私的なものと個人的なものとはまだ結びつけられてはいなかったのである。個人の感情の特殊性はまだ社会的形態をもっていなかった、なぜならそのかわりに、自己に近いこの領域は、人間の、自然にそなわった普遍的な「共感」によって定められていたからだ。社会は一つの分子であった。
人権という近代的概念は自然と文化の対立から来ている。
精神的権利をもっているのは自然のままの人間であって、個人ではない。まさに自然にそなわったものは非個人的であり個々人のものではないがゆえに、すべての人間は友愛や幸福を要求できるのである。
人間は幸福になる権利があるという観念は、特に近代の、西欧の思想である。
われわれの祖先は、幸福の追求に具体的な社会的形態を与えようとして、この対立を何とか表現できるイメージや経験を見つけようと苦心した。それを表現するために彼らが見つけた一つの方法は、公と私を区別することであった。
自然なものを私的なもの、文化を公的なものと同一視することによって、自然と文化について考える一つの方法として役立った。 パブリックとプライヴェイトの対照を通じて文化と自然の対立が明確になればなるほど、家族は自然の現象として考えられた。
心理学は、生理学にもとづくというよりは、自然の分類学ーーつまり、異なった種の行動の分類ーーにもとづいた科学であった。
いかに社会的環境が異なっていても、人々が共有していたのは自然な思いやりであり、他人が必要としているものに対する自然な感受性であった。人々が自然権をもつことは、そのような人間性の定義の論理的な帰結だった。〈自然〉は中世の迷信とは違い、結局のところ、人間に自分の能力に対する絶望よりは、希望の根拠をあたえたのである。自然と私に対する文化と公の対立ということで表されたときのこの態度の意味は、二つの領域の関係はまったくの敵対というよりは、抑制と均衡の問題だということである。私的な領域は、因習的、恣意的な表現のコードがいかに人の現実感覚の全体を支配するものであるかという点から、公的な領域を抑制すべきものであった。これらの境界を越えた所に、人はいかなる因習の命令によっても抹殺できない生活、自己表現の形式、そして一組の権利をもっているというわけである。しかし同様に、公的な領域もまた私的な領域に対する矯正手段だった。自然人は動物であり、それゆえに公的な領域は、家族愛のコードだけにしたがって営まれている生活が生みだす自然の欠陥を矯正した。その欠陥は不作法ということだった。文化の欠点が不正であるとすれば、自然の欠点はその野蛮さであった。
このようなわけで、公と私の領域について話すさいには、それらを一つの分子として考えなければならない。それらは共存する人間の表現様式であり、異なった社会環境に位置しながら、お互いに相手を正すものであった。
われわれはパブリックとプライヴェイトを固定した状態として描くほうが容易であるためにそういうものとして語っている。実際は、それらは複雑な進化の連鎖であったのである。
『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦 高階悟/訳
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