内部と外部と分けつつ、つなぐ、あるいはどう乗り越えるかがフレームという仕組みで、どんなジャンルであれ基礎的技法のひとつです。
岡崎乾二郎
>> 上記はあくまで言語化の話法〈論法〉なのでは?
私は私をいかようにでも取り違えうるが、無数の取り違えへの処し方が、「あらかじめ」ではない私を生じさせる。
高嶋晋一
『美術手帖』2025年7月号「岡﨑乾二郎」特集 “造形作家の「起こし絵」をつくる” より引用。
>> 岡崎乾二郎は、前提化される感覚、自然環境も同等に、言語化させることで概念化〈前述〉し、認識というプラットフォームをフラットに、“抽象へつなぐ”、言い換えれば知覚を限定<化>するように〈後述〉することが作品化の一端である、と西洋化に類するように周到に踏襲する。
その活動は前後間を反転させる“概念装置”でもあって、作品はその”起こし絵”である。それら行為化が主体を形成する経緯でありプロセスでもある、と教育的検知を助長する。
あくまで造形 = 認識は可塑的であって、知覚を制限せざるをえない、そこが多くの彫刻家や建築家の思考形態のように、どこまでも身体を補完しつつ概念で構築させようとする保守性でもあって、その姿勢や態度は構築物の美学化でもある。
時間や空間を限定化させ制限することこそ概念化でもある、と。