mitsuhiro yamagiwa

序ーー「イメージの歴史」とは

1 広範な対象

家のなか、町のなか、出版物や広告、テレビなどさまざまなイメージにとり囲まれて生きている。そこで目にするイメージが私たちの暮らしを豊かにも醜悪にもしているのだから、「美術」というものを美術館や美術全集のなかに閉じ込めて考えることのほうが無理がある、とはいえないだろうか。

2 超越的な方法

人間が行っていることはみな複合的なことで、さまざまな面があり、さまざまな見方がある。

要するに美術をただ美のための閉ざされた世界として考えるのではなく、それを生産し、消費した社会全体と関連させて多角的に考えようということである。

3 ポスト・コロニアルの見方

◉一般に、民族や国家は、自分たち(われわれ)とは異なったものを持つことによってのみ、自分自身が何であるかを確認することができる。

◉西欧文明は絶え間なしに、この「他者」のイメージを創造していくことによって、自分の正統性、中心性、普遍性を確認してきた。しかし、その場合に、彼らにとっての「他者」から見れば、彼ら自身がその「他者」であることは想像しなかったといってよいだろう。

世界を構成している多様な文明や人種のそれぞれの側の見方、考え方を同時に見ていくべきだという考え、特にかつての宗主国と植民地のかかわりのなかで、それぞれの固定した見方を壊し、新たな見方を提案していこうとする思考の方向、それをポスト・コロニアルの歴史観・文化史観と呼んでいる。

4 ジェンダーの見方

同じ一つのイメージも、それを創造したのではない、その主要な消費者でもない女性の側からは違って見えるのである。

5 まとめ

◉「ものごとには二つの面がある」

◉「その間のさまざまな相互関係を発見すること」

「差異のわかる」知

理論編

1ーー新しい美術史の理論

1文化史と社会史にかかわり

 ◉絵画や版画に描かれたイメージを歴史記述の挿絵のように使う歴史家がいるがそれは大きなまちがいである。それらのイメージのほとんどは、現実世界の記録や再現ではなく、表象であるからだ。表象とは、観念の視覚化である。そこに何らかなじみの風景が描いてあったとしても、それはイメージの作者の心性や思考によって再構成されたか、またはまったく新しく創造された人工的な生産物であり、これを扱う学問は文化史に属している。

◉バークによれば、「社会」とは、経済的、社会的、政治的な構造の総称であり、特定の場所と時間に特有の社会的諸関係のパターンとして現れる目に見えない構造である。

◉そして文化が社会のなかで占める領域とは、「想像的なものや象徴的なものの領域である」。つまり、われわれの社会は現実的で物質的なさまざまな関係や構造からできあがっていると同時に、想像されたものや象徴的なものから成り立っているのである。そしてそれらはからまりあってある社会構造を形成しているのである。

◉実際に存在する現実性(リアリティー)の領域があるが、想像されたものや象徴的なものもまた、この社会のなかに生きている人々によって絶えず生み出されているのである。そしてこの想像されたものや象徴されたものによって、その社会の人々の心が動かされ、その社会の構造を維持したり、変化させたりしているのである。

現実に特定の社会的現実として存在している事柄ではなく、想像されたものや象徴的なもの、虚構のイメージによって表現することを「表象行為」または「表象」という。

国家とは国民というものは「心のなかにイメージとして想像された政治的共同体」である。

◉国家という巨大な、「目に見えない構造」を支えているのは、歴史や伝統や言語の象徴などの文化を共有しているという意識なのである。だからこそ、どの国でも国旗や国歌や建国の神話などに異常な重要性をおくことになるのだ。

人間は想像力によってのみ永遠なものや偉大なものにかかわることができ、そのために生命を捨てることさえする。

前近代までは、人々の心をつかんでいたのは、西欧では宗教だった。

◉宗教もまた、目に見えない偉大な世界を想像させる無数のイメージやその他の文化を生んで人々の心を支配してきた。近代では、そのかわりを「国家」が務めているとホブズボウムは書いている。

◉社会史と文化史は補いあってこそ全体としての歴史を構築できるのだということが認識される必要がある。

2 イメージの歴史と社会のかかわり

非常に重要なことは、芸術はいつの時代でも、原料である物質を加工して人工的なオブジェやイメージを創り出す生産活動であって、その加工者はその人工物を必要とする相手に渡して、生きるための報酬を得るという経済活動を行っていた。

◉芸術の使用目的は、非常に多岐にわたっているが、その共通する特徴をあえていえば、実用的というよりは精神的に役に立つという種類の生産物だということである。

人類にとっては、しばしば、精神的に力をもつものが、物質的に役に立つもの以上に必要とされるのである。

芸術をも、ある社会が需要した結果として生産された生産物だと考えることは、芸術を社会と関連させて考察するための基本的な前提である。

◉資本主義社会における多くの商品と同様に、芸術家と消費者の直接的で人格的な接触点はなくなった。大衆は作品の生産については関与しなくなり、もっぱら受動的な消費者となった。作者は不特定多数の大衆を念頭において迎合するか、またはまったく孤独な自我のなかで望むものを描くか選ぶことになった。

◉かつては、政治性や党派性、セクシュアリティなどを美術作品の解釈の前提からはずすことが客観的で「アカデミック」なことだとされていた。しかし、絶対に客観的な立場などはどこにも存在しない。

芸術家の思想性や精神性

ヴァールブルク学派のイメージ解釈には一つの大きな欠損があった。それは、イメージが、精神的、知的な産物であるということに偏した結果、その社会的、政治的側面を軽視したということである。またイージの社会的受容や、その社会的役割については沈黙した。

下位(周縁)概念の登場ーー感性・身体・女・性・民衆・他者

◉よく言われているのは、社会的現実は個人を外から規定するが、心は自由だという言い方である。 

◉心には歴史はない。

それが社会において重要で大きな活動になったのは、それを支え、受容し、伝播させた全体的なものにした無名の民衆の動きがなくてはならなかったはずである。特定の社会に規定されず遠い領域や違う領域にまで移動し、定着するようなもののことを大きい出来事というのであれば、それはただ一人の個人や唯一の領域内ですまないものであるはずだ。

かつて歴史学の「周辺に追いやられていた」イメージ研究を歴史学の領域に正当に位置づけようとする新しい歴史の流れにそって、美術史もまた、かつて排除されていた社会史その他の多領域の史料をイメージ研究に参加させるようになった。この双方のアプローチによって、美術史は人類の歴史学、新しい歴史学の一分野となったのである。

2ーーイメージ生産の目的

「芸術としてのイメージは視覚的表象である」

視覚的表象(visual representation)とは、観念の視覚化である。

描かれたイメージは、対象(オブジェ)そのものではあり得ない。◉描かれたイメージは、常に、現実の対象の客観的な記録または描写ではなく、作者によって問題的に見られ、取り出され、解釈され、再構成された現実性であるか、または、神話・宗教・歴史画や抽象画など、現実には存在しないものを作者の想像力によって創りだし、視覚化した虚構のイメージである。

人類とはまさに視覚表象を生み出す特異な特徴をもった動物なのである。

1 呪い

多くの人にとってイメージはその描かれた対象の貴さや魔力を備えていると信じさせる力をもつ。

2 不可視のものの喚起

1にあげた効果をイメージがもつのは、イメージが存在しないものを視覚化することができるメディアであることによっていることが大きい。

神・天使・悪魔・天国・地獄・楽園などは、すくなくとも、現実には見ることができないものである。

イスラム教、ユダヤ教などは神の視覚化を禁じているが、キリスト教、ヒンズー教などにとっては聖なるもののイメージなしに信仰の実践はあり得ないほどである。

◉「正義」や「勇気」、「国家」や「学芸」などの抽象的観念は、見ることはできないが、西欧はこれらを擬人化された人間像でイメージ化した。

これらの人々にとってはイメージによって実現された表象の世界は現実の世界と同様かそれ以上の現実性をもって「実在」したのである。

ダーウィンの『種の起源』

それは「われわれ」と「彼ら」の差異をつくりだし、その差異があるがゆえに彼らを支配し、あるいは統治することは当然であるという心性をつくりあげることに役立つ。この場合にはイメージは「他者」をつくりだすための非常に有効な武器だということができる。

3 表現されたものの権威化・栄光化と永遠性

◉イメージは集団や個人の想像の共同体を創りだすための記憶の装置という役割を果たす。恒久的な芸術形式になった記憶は人間の不死の願望を満たしてくれるのである。

4 歴史意識の増幅

あらゆる共同体は、その歴史意識を共有するために大量の歴史・神話物語を生産してきたのである。歴史の共有なくしては共同体の心性の統合はできなかったといってよいだろう。

5 他者の喪失

◉人間は、社会をつくって生きてきたが、そこでは、支配の秩序を確立することがその社会の安泰を保つ意味できわめて重要なことであり、社会不安とはすなわち秩序の崩壊であった。社会の秩序を保っているのはその社会の中心部・上層部にいる階層であり、下層や周縁にいる集団は、不従順な、または不満な、または異質な、または絶えず内外の境界を犯す危険な存在であった。

◉他者を差別し、視覚化することは、共同体の結束を強化する有効な手段だったからである。敵や他者、すなわち、「彼ら」を創り出すことは、「われわれ」を意識させるための最大の手段であり、その場合、具体的で醜悪なまたは忌まわしいイメージは非常に効果的だった。

ナチスはアメリカを強姦魔のように描き、アメリカはナチスを同様にイメージ化した。こうしたイメージは言葉以上に人々の想像力に訴え、差別や敵意や同盟意識をつくりあげるのに貢献した。

6 欲望の喚起または昇華

男性の性的欲望はイメージの生産と深く結びついていた。女性は生産にかかわっていなかったために、人類の性的イメージの大部分は異性愛の男性の性的欲望をみたすものになった。

今までの美術史は、ジェンダーによって異なるこのような差異を考慮してこなかった。

7 社会批判

イメージを「単なる美」または「遊び」だけだと思っていた人はその考えを変えるにちがいない。

3ーーイメージの解釈の方法 図像のコード

1 表象の語法ーー象徴(Symbol)の諸形式

象徴化とは、ある一つのイメージで、事柄の本質を示す方法である。代表的なものにはキリスト教の象徴的な記号である十字架がある。

キリスト教は多くの優れた象徴的イメージ記号を貴重な財産としてもっている。

ゴンブリッジは、われわれが感覚的に知る世界の奥に理想の世界があるというこのプラトン的な考えが西欧の象徴体系の基本にあるのだと考える。つまり、われわれが現実に見ている世界の奥には恒久普遍の理想の世界があり、したがって、感覚世界の事物はその影にすぎない。だからイメージはその影を描いても価値がない。その奥にある目には見えないが本当のものを創造しなければならないということになる。現実のイメージはその奥にある真の知の漠然とした暗示にすぎないという考え、イメージを創造するとは現象の奥にある真実の姿を視覚化するのだという思想、これが西欧の象徴主義の根底にある。見えているものを超えてその奥の意味を暗示するために象徴が用いられているのである。

優れた象徴をつくりだすことは思索と知識の成果とされているのである。

2 定型図像のレパートリー「図像学」

カノンの成立ーー古典古代

その基本には西欧美術が表象の基本として「人体」を置いていることがある。

つまり、ある特定の人体の影にある特定の意味が結合して図像ができあがったのである。そこにはかたち=意味、イメージ=観念の一致がある。イメージと観念の結合なしにはイコノグラフィーは成立しない。

教訓的伝統

文章を読むことはイメージ研究の準備段階にすぎない。本当の分析はこれからである。

4ーーイメージ解釈の方法 表現形式

1 様式ーーものの見方と表し方

『美術史の基礎概念』(一九五〇年)

彼は、ここでルネサンス時代の様式とバロック時代の様式には「ものの見方」において基本的な差異があり、この異なった見方が、相反する様式を生み出したものだとする。そしてこの二つの芸術様式を決定する基礎的な概念を五つ取り出した。つまり、ルネサンス(クラシック)は線的、バロックは絵画的というような対立である。それらは、線的対絵画的、平面対深奥、閉ざされた形式対開かれた形式、多数性対統一性である。

ヴォリンゲルは『抽象と感情移入』という著書で、人類の表現形式には事物を自然界そっくりに描く「模倣表現」と、幾何学的、抽象的図式化を行う「抽象衝動」があるとし、前者がイメージに感情を移入したという欲望、後者が自然を秩序づけたいという欲望によっており、前者が古代と西欧近世、後者がアジアの表現形式だとした。◉アーノルド・ハウザーは『芸術と文学の社会史』で、感情移入の様式は現実肯定、抽象的形式は現実からの乖離の世界観を示すと分類した。

ジョットのパードヴァのスタロヴェーニ礼拝堂フレスコ(一三〇三 – 一三)

ニコラ・プサン『最後の晩餐(聖体の秘蹟)』1647年

スコットランド・ナショナル・ギャラリー エディンバラ

オブジェは強烈な明暗のコントラストのなかに劇的に浮かび上がったり、闇に包まれたりしている。これらに要素は典型な「バロック」様式である。

2 総合的な解釈

◉ヴェルフリンの理論は芸術を人間からも社会からも切り離し、純粋な視覚形式として見ているという限界がある。また、その考察が一五世紀から一六世紀に及ぶ時期に限られているという限界もある。しかし、様式の基礎的要素の抽出においては有効なものであり役に立つ。

ヴェルフリンがあげている「バロック」のカテゴリーにもっともあてはまるのは、実はティントレットであって、プサンではない。

ティントレットはマニエリスムの画家である。

したがって、いまでは古典と反古典という図式はルネサンスとマニエリスムのあいだにあり、バロックは概して、一部古典主義に回帰し、一部マニエリスムを継承したのである。

◉「ものの見方・表現の仕方」が、個人によって、時代によって、社会によって非常に違うのはなぜなのか。

◉図像と様式は不可分、オブジェと構成は不可分である。双方があって画面ができる。総合的な見方をすることと、一般化を避けることが重要である。

このように考察してくると、◉様式の成り立ちもまた、ただものの見方という感覚的、心理学的な原因によってのみではなく、そのテーマをどのように解釈し、誰が、いかなる意図で、誰に向かってそのイメージを差し出したのかという社会的状況、精神的・宗教的状況と密接に関連していることがわかる。また、このような状況ーーつまり宗教的危機、緊迫した社会情勢のなかに置かれた個人や集団が、平明で近郊のとれたイメージよりも劇的で強烈な印象や驚きを与える画面に共感するという心性をもつことが考えられる。

◉空間が誰でも入っていける開かれた場所であって特権的な閉鎖された空間ではないということ、時代を覆っていた不安とがからまりあって、この不安定で斜めの空間構成ができあがっている。

 このように、図像の意味、様式の意味を画面内部ばかりではなく、絵画を成立させているあらゆる条件にわたって調査し、その意味を総合的に明らかにする方法を図像解釈学(イコロジー)と呼ぶ。われわれはあらゆるものを互いに切り離すのではなく、互いに関係づけて遠い過去に生産されたイメージの意味を再構成するためにこの学問の方法を用いるのである。

実践論

5ーーカノン(正典)の成立 古代社会のイメージと心性

公共のイメージは、最初から、個人の私的専有物ではなく、現実の社会に住む多数の住民の集団的想像力に訴えることを目的にしており、その目的は宗教的であれ、世俗的であれ、その公共的な集団に属する多くの人間の集団的心性の表象であるが、または、その心性をつくりだすための装置か、である。

1 ギリシャ人の社会と政治・文化

自然は男性にあらゆる能力を授けたにもかかわらず、再生産(生命を生むこと)だけは女性にしかできなかった。

ギリシャのポリス社会が築いた政治と文化とは、まさにそれが西欧の数千年に及ぶ社会体制の起源であったゆえにこそ、文化的にもいきいきと伝承され、男らしさの美の模範(カノン)となったのである。

2 カノンとしてのアテナ

ギリシャのアイスキュロスから数十年が経っても、父権支配のヨーロッパは紀元前のアテナイと同様に父権社会であり、父の忠実な娘アテナのいきいきとした生命はその構造のなかで再生産されていったのである。

6 ーー中世西欧のイコン 聖母像

1 もう一つのカノンーー肉の否定

女性の肉体につきまとう羞恥と罪、それはキリスト教の身体表現の特徴であり、西欧における身体表現のもう一つの重要なカノンである。

6 第二のエバ

マリアの身体活動は停止している。マリアに許されている身体活動は二つしかない。それは「授乳」と「涙」のみである。

8ーー女性英雄をめぐる問題

1 ユーディットとは誰か

ユーディット「ユダヤ女」

女は征服された国家の表象として一般的に用いられた。

9ーーフランス革命と公共彫刻

1 フランス共和国の象徴ーーシンボルの形成

地域に根ざしている農民を国民ーー国家の国民であるという意識や心性の持ち主に変え、社会的ヒエラルキアを弱め、伝統的秩序ではない国家を創造すること、これがつまり「近代化」であるが、それは非常に難しいことであった。

近代国家がその国家的表象を創造するには二つのタイプがある。一つは国家創設者の崇拝イメージを創造し、これが何らかの神話や伝統と結びついて神格化される方向である。日本やアメリカ、イギリスはその方向に向かった。二つめは、特定の個人や指導者の崇拝を排除し、抽象的で一般的、普遍的象徴を生み出す方向である。王を処刑したフランス、また革命の過程のなかで、革命の指導者間の政治理念の葛藤や彼らの処刑が相次いだフランスは、特定の英雄を神話化することはしなかった。フランスは何よりもまず「フランス」を神格化しようとしたのであり、革命の偉大さを強調したのである。

3 男性の表象ヘラクレス

ヘラクレスが、王の力から人民の力に変更されたことは事実である。しかし、この男性表象が男性の至上権を示すことに何も変わりはない。これは急進派であるにせよ、保守派であるにせよ、根本的に反女性的であったフランス革命をまさしく表象していた。

12ーー 一九世紀ナショナリズムと植民地への視線

1 国家的シンボルの大量生産

国家的シンボルが大量に創り出された時期は、一九世紀後半、つまり第一次大戦の三十、四十年前だったということである。

国家の公式の儀礼や象徴に過去の宗教や王侯の壮麗さを借用する、そして何よりも、古代ギリシャの権威ある伝統形式を借りて、自国と自国民の優秀性を世界に知らせる、それか近代西欧国家のシンボルの原理になった。

7 有色人へのまなざし

一九世紀に、西欧諸国の世界支配の植民システムが完成し、二〇世紀にはその再配分のための抗争が決定的な世界大戦を誘発した。帝国主義と呼ばれるこの時代の特徴についてサイードは次のように定義している。「帝国主義とは、あなたが領有していなくて、遠くにあり、他者が住み、他者が所有している土地について考え、そのような土地に定住し、そのような土地を管理すること」である。

サイードが帝国主義的文化と呼ぶものは、私なりの定義をすれば、「地理をめぐる闘争を正当化し、自分の住む国から遠く離れた土地の所有と支配を正当化するためのイメージの創造」である。

13ーーファシズムのプロパガンダと古代のカノン

1 第二次世界大戦と全体主義のプロパガンダ

一九四年から一九一八年まで世界を巻き込んだ第一次世界大戦のさなかに、ロシア帝政の専制政治のもとで近代化が遅れていたロシアは一九一七年に帝政を倒してレーニンの指導のもとに革命を起こし、共産党の一党独裁によるソヴィエト社会主義共和国連邦を樹立した。これによって、世界資本主義体制のなかに、共産主義体制が加わり、これが各地の植民地にも波及して民族独立の革命運動を呼び起こし、世界を二分する二つの体制とイデオロギーの対立が世紀後半の世界の歴史を大きく左右することになった。

 またこの戦争の結果、連合国側に大量の物資や借款を提供したアメリカは莫大な利益をおさめ、戦後は世界の金融市場を支配し自動車や家庭電化製品の大量生産を中心にして真大な利益をあげる大衆向けの産業が繁栄し、大衆文化もアメリカを拠点にして生まれ、文化的にも指導的な役割を行う大国になった。

 しかし、第一次世界大戦のもっとも恐るべき結果は「ファシズム(全体主義)」の台頭であった。一九二九年の一〇月にニューヨークに起こり全世界に波及した世界恐慌によって深刻な打撃を受けたドイツで、戦後ヒトラーを指導者に発展してきた「国家社会主義ドイツ労働者党=ナチス」の勢力が急激に拡大した。第一次世界大戦のあとフランスのヴェルサイユで締結されたヴェルサイユ条約で、敗戦国ドイツはすべての植民地を失い、かつてプロイセン、フランス戦争で獲得したアルザス・ロレーヌやポーランド、デンマークとの国境地帯を失ったほか、軍備の制限、多額の賠償金を課せられることになったのだが、ナチスはこの条約の廃棄を訴え、植民地の再配分を主張して民心をつかむようになった。

2 ファシズムの美学ーードイツの場合

◉美学は混沌ではなく、秩序の法則と原理をもって大衆と祝祭の組織化を行った。オリンピック、制服、巨大な祭典、都市計画などには厳格な幾何学的統一形式がみられる。

制服は命の機械化の徴候だと『敵の顔』という画期的なイメージ政治学の本を書いたサム・キーンは指摘している。これは権威への服従、匿名性の勝利、個人の抹消そして全体への溶解であった。

◉国民の身体というもっとも個人的なものを統御し終わったとき、そこには個人はない。人は一個の武器になり、人間性を最終的に喪失することができる。理想としてのギリシャ的身体、その没個性、幾何学的形式美、これらが全体主義の美学であった。

4 まとめ

 終わりに、全体的主義体制の基本理念についてもう一度まとめてみよう。それは強力な統一的、全体主義的な国家権力のもとに階級的矛盾を溶解させること、その上で、大衆と化した国民に唯一の行動綱領を納得させることである。したがって、ファシズム体制における文化の意味は、政治的システムの動因として強く意識され、大規模に生産され、大衆に向けて作用した。

ヒューイットは「ファシズムの美学」という論文で、ファシズムは基本的に暴力礼賛であり、暴力を肯定し、民衆を動員し、ナショナリズムと、未来派などの前衛芸術運動のなかに階級対立を解消させることを目的としたと述べている。

イタリアの国家的神話とその表象の再創造がモダニズムとファシズムの連帯と結合したのである。

暴力とテクノロジーの賛美、現代性と新生国家権力による帝国主義的戦争の賛美、若さとスポーツと戦争への賛美、冒険と英雄崇拝、過去の黄金時代の郷愁ではなく未来への投企をめざすという美学があった。

われわれが研究するイメージの歴史とは、社会のなかで生きて働き、われわれの心を動かして人類の歴史を作ってきたイメージを探ることであった。それによってイメージの作用と力を知ることと同時に、その正しい理解を深めること、これが人類にとって必要な知識なのである。

14ーー二〇世紀の日本 東京の公共彫刻

1 王様は裸だ

「すべてのイメージはものの見方を具体化している」

「すべてのイメージについての判断や知覚はわれわれ自身のものの見方に依存している」

「男性は見る側であり、女性は見られるものである」

さらに、「女は男に見られている自分自身を見る」

ジョン・バージャー『イメージーー視覚とメディア』

イメージがどう思うか、どう解釈するかは、一人ひとり違う、そしてそのどれもが「まちがい」だとは言えない。

もっとも重要なことは、誰がいつどこでどのようにそれを見たかということは、いわば、ばらばらに起こっているのであって、単純な二項対立ではないということである。

2 東京都庁の公共彫刻

リンダ・ノックリンが指摘しているように、近世・近代において女性に大芸術家が輩出しなかっのは、女性が裸体というものを見ることそのものがタブーだったからということがその原因の一つであった。

したがって、女性はなぜ同性の裸体を描くのかなどという問いはかつて発せられたことがない。女性裸体像が芸術の修行の根本である、その了解だけで十分だったのだ。

3 都庁以外の東京二十三区内の裸体女性像

「平和」は純粋な象徴にすぎず、なんらかの女性が平和のために戦ったということは意味しない。だが「自由」は男性たちによって戦いとられたものであり、男性的勇気や社会正義などの男性的美徳の記念碑である。

なぜ女性の身体がこの場にさらされる必要があるのか。

またわずかに採用された女性作家は男性に期待された女性像を提供するが、または男性の視線を内蔵して制作を行っている。

除去されたものも含めて、ことごとくが男性の武装像であった。西郷隆盛だけは皇室に反旗を翻した人物であったために、武装を解かれて普段着姿で犬を連れている。

 このように武装した男性像を否定して、一斉に裸体の女性が戦後に現れたのである。そのことは、女性裸体像が西欧諸都市の公共彫刻に多いということでは説明がつかない。なぜなら、西欧の主要な女性像はアテナ型の威厳ある女性、おおいなる母の像だからだ。

歴史性、政治性を嫌い、自分の共同体のシンボルを形成することに意味を見出すことのなかった日本の文化的貧困、そして悲惨な過去や、ともにくぐり抜けた過去の思い出を危険視する保守的な発想、これが、日本の都市に公共のシンボルを形成することに失敗した原因ではないか。政治性と歴史性を一切拒否した女性裸体が戦後の市役所に建ったことは、われわれの暮らしている社会が一体どのようなものであったかを再び考えさせるのである。

『イメージの歴史』若桑みどり/著