b 心情の法則とうぬぼれの狂気
自他の個別性の解消と「世のなりゆき」の成立
ーーおおやけの秩序とは世のなりゆきのことである。それは恒常的なみちすじのような外観を呈しているとはいえ、その普遍性はただ思いこまれたものにずぎない。世のなりゆきは、その内容からすればかえって本質を欠いたたわむれであって、そこでたわむれているのはさまざまな個別的なありかたが固定されては、解体してゆくさまなのである。
c 徳と世のなりゆき
徳の意識にとっては、法則が本質的なものであって、個体性は廃棄されるべきもなである。
個体性がこのよう廃棄されることによって、いっぽう世のなりゆきの〔内的本質である〕自体的なものにいわば余地が空けられ、自体的なものがそれ自体として、それ自身だけで現実存在するにいたる〔可能性が拓かれる〕ようにたるだけなのである。
徳にあって、善はなお潜在的で普遍的なものである
善なるものはようやくひとつの他のものに対して存在するにすぎない。
c 自身にとって、それ自体として、それ自身だけで実在的である個体性
自己意識とカテゴリー、円環としての行為
自己意識は純粋なカテゴリーそのものをじぶんの対象としている。いいかえれば自己意識がカテゴリーなのであって、カテゴリーがみずから自身を意識するにいたっていることになる。
行為はなにものも変化させず、なにごとにも刃向かうものではない。行為とは純粋な形式であって、それは見られないものを見られるものへと移行させるだけである。
行為そのものが内容であるのは、ただ単純なありかたとして規定されることでなりたつものにすぎず、その単一性が対抗しているのは、行為が〔陽のあかるみのうちへと〕移行し、運動していくという規定に対してなのだ。
『精神現象学 上 』G ・W・F・ヘーゲル/著、熊野純彦/訳より抜粋し流用。
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