
《 草上の小憩 》 1904年
https://matsumoto-artmuse.jp/events/event/ishiihakutei
>> まさに絵に描いたような光景、その画布上に佇むモデルは(旅人であり教育者でもある)画家からの視線を外すかのよう…。だからこそ、その画中には独特の緊張感が漂う。そこは意図された情況-設定なのだろうか。
風景・室内画は線形描写の奥行きに限界を感じざるをえない。遠近法〈カメラオブスキュラ〉の影響が介在されぬ画中画のパースペクティブは平面を三段階(近 – 中 – 遠景)へと多視点化させ、窓枠を額縁と同化させたり、日本特有の敷居を、どこまでが内で、どこから外なのか曖昧であるかのように縁側、ベランダ、カウンターなど好んで描いていたように思う。
そもそもパースペクティブ、そのものを描くには、多角的な観点によって視点という眼差しを誘導、消失点へと双方向的に消し去るかしかなく、これらではない、それらを描くことに他ならない…。旅人は、どこにいても”よそ者”であるからこそ、だれともない観点、その模倣者でもある。そこで、彼らは視線を遠くへと誘う、そんな観点、役割を担ってしまったのかもしれない。

《 紅蓮 》 1918年

《 麻雀 》 1926年

《 画室 》 1930年

《 爆撃機 》 1943年

《 槍ヶ岳 》 1946年


《 山荘の朝 》1946年

《 画室小集 》1949年
卓上にクールベやマネの画集、壁にはベラスケスの肖像画の複製などがかけられている。イーゼルの画中画は、第11回一水会展に出品された《麦秋》である。

《 山荘秋宵 》1951年

《村友小酌 》A Drink with Village Friends 1950年

《 中信酒客 》 1953年