第一章 ポスト人文主義ーー自己を越える生
フッサールの観点においては、ヨーロッパとは、批判的理性と自己反省性という、人文主義の規範に支えられている二つの性質が由来する場にほかならない。比肩するもののない普遍的意識としてのヨーロッパは、その特殊性を超越する。
このヨーロッパ中心主義というパラダイムは、自己と他者の弁証法を暗示している。つまり、普遍的な人文主義の原動力としての自己同一性とその文化的ロジックとしての他者性という二元的な論理を暗示しているのである。
一方では大虐殺や犯罪と共謀し、他方では自由への測り知れない望みと憧れを支持しながらも、人文主義はどうにかして単線的な批判を打破している。この変幻自在な特質が、人文主義が延命している原因の一部である。
反ヒューマニズム
冷戦のレトリックは、西側の民主主義、リベラルな個人主義、そして全員に保証しているとされる自由を強調するものであったが、それらの理論や認識論はそういった常套句に対しこの異議を唱えるものであった。
反人文主義がアメリカの知的状況に根を下ろしているのは、ある程度ヴェトナム戦争に対して広がった反感のためであることは、頭においておくべきだろう。
反ヒューマニズムは、人間という行為者をこの普遍主義的姿勢から引き離し、いわば、彼が実行に移している具体的な行動のかどで彼を咎めることに存する。このかつての支配的な主体が彼の誇大妄想から自由になり、歴史的進歩を担っているとされなくなると、それとは異なるより鋭敏な権力の諸関係が出現することになる。
個人主義は、リベラルな思想家たちが信じがちなように「人間本性」に本来備わる一部分ではなく、むしろ歴史的・文化的に特殊な言説的編成のひとつであり、さらにいえばますます疑わしいものにさえなってきているのである。
フェミニストたちは、抽象的な男性性や白人の優越性を介して、家父長的な姿勢を批判しており、この人文主義的普遍主義は、認識論的な根拠だけでなく、倫理的・政治的な根拠からも反論可能であると論じたのである。
人間の死、女性の脱構築
ヒューマニズムは、リベラルな側では個人主義、自律性、責任能力、自己決定を支持してきた。より急進的な前線においてはそれは連帯、共同体の紐帯、社会的正義、平等の原理を推し進めてきた。きわめて世俗的な方向づけにおいては、ヒューマニズムは科学や文化に対する尊敬の念を促し、聖典と宗教的ドグマの権威に抵抗した。
ポスト世俗的転回
進歩的な政治的信条として、人文主義は、連動する他の二つの考えと特権的な関係をもっている。その二つとは、平等の追求による人間の解放と、合理的な統治による世俗主義である。
世俗性はそれゆえ、信仰を含めた感情ないし非理性と理性的判断との区別を強化しているのだ。
世俗国家における平等は、論理的にいっても歴史的にいっても、多様性はおろか、差異への尊重さえ保証していない。
政治的行為性は、対抗的という否定的な意味で批判的である必要はなく、それゆえ、対抗的主体性の生産のみがもっぱら目指されているわけではないかもしれないということである。むしろ主体性とは、オートポイエーシスや自己様式化のプロセスであり、そのプロセスは支配的な規範や価値とたえず入り組んだ交渉をすることを含み、それゆえに、多種多様な説明責任のありかたもそこにかかわってくるのだ。
単に世俗的であることは新植民地主義的な西洋至上主義的立場と共犯関係になるであろうし、かといって啓蒙主義の遺産を拒否することはどんな批判的企図とも本来的に矛盾しているだろう。
ポストヒューマンの課題
ポストヒューマニズム的視座は、ヒューマニズムの歴史的な衰退という規定のうえに成り立っているが、さらに進んで、〈人間〉の危機というレトリックに拘泥することなく別の選択肢を探求しようとしている。それはむしろ、人間の主体を概念化するためのこれまでとは異なる方法を練り上げようとすることなのだ。
科学的な中立性の名のもと、あるいはグローバル化の結果、性急に再構築された汎人間的な絆という感覚の名のもとで、そうした矛盾や不平等に取り組まないでいることは、論点回避にしかならない。
批判的ポストヒューマニズム
わたしにとって批判的ポストヒューマニズムには、人間中心主義を乗り越えることと必然的なつながりがある。わたしはこの乗り越えを、非-人間的なものないしゾーエーに向けた〈生〉の観念の拡大と呼んでいる。ここからラディカルなポストヒューマニズムが帰結する。この立場によって、ハイブリッド性、ノマド主義、ディアスポラ、クレオール化といった諸々のプロセスは、人間的なものと非-人間的なもの双方を含む諸主体のうちで主体性・連結・共同体についての権利要求を根拠づけなおす手段へと転位されるのだ。
結論
わたしたちには、「現在にふさわしい」主体性が必要なのである。
ヨーロッパ精神の閉塞を象徴しているのは、移民、難民、亡命者がたどる運命であり、彼らは現代ヨーロッパの人種差別の矢面に立たされている。
新たなアジェンダが設定されなくてはならない。
過去のヒューマニズムが制度化してきた思考習慣の堆積物に寄りかかることなく、ポストヒューマン的窮状は、わたしたちがこの時代の複雑性や逆説のなかへと飛び込んでいく勇気を与えてくれる。この責務を果たすためには、新たな概念的創造性が必要なのである。
『ポストヒューマン | 新しい文学に向けて 』ロージ・ブライドッティ/著、門林岳史/監修、大貫菜穂、篠木涼、唄邦弘、福田安佐子、増田展大、松谷容作/共訳より抜粋し流用。