第十三章 コミュニティは不作法になる
小規模なコミュニティを信じる考えがますます強力な理想になったのである。
今日の都市計画者たちは都市を全体として正しく設計する希望をたいてい諦めてしまっている。なせなら自分自身の知識の限界と政治的な影響力に欠けていることを認識するようになったからである。
今日の都市計画者たちは都市に対抗するコミュニティを考えている。
産業資本主義は仕事をしている人間をその仕事から切り離す。自分自身の労働を支配していなくて、むしろそれを売らなければならないからだ。
人間が仕事から距離があるように、彼は仲間から距離があるのである。群衆がもっとも良い例になろう。人々がお互いに未知であるがゆえに群衆は悪いのである。
ーー未知の人である状態を克服すること、人々の間の相違を消し去ることが、資本主義の基本的な病気の一部を克服する問題のように思えるのである。
見知らぬものや人は、慣れ親しんでいる考えや一般に認められた真実をひっくり返すかもししれないが、よく知らない領域は人間の生活で積極的な機能を果たす。それが果たす機能とは、危険を冒すことに人間を慣れさせることだ。
われわれにはそのより大きな世界を住めるようにするしか選択はないことを示したい。
より親しくない領域で起こるかもしれない衝撃を経験したいという人々の願望は切り詰められることだろう。
孤立集団からなる都市を破壊することは政治的にも心理的にも必要なことなのである。
われわれの誤りは「経験的誤謬」とでも呼べるだろう。
というのは、世界に対抗してコミュニティを建設するという考えの間違いは、親密な経験のあり方そのものが、人々に感情の共有にもとづいた、新しい種類の社交性を創造することを実際に可能にすると思いこんでいるからである。
『公共性の喪失』リチャード・セネット/著、北山克彦 高階悟/訳