mitsuhiro yamagiwa


作品を見るものの存在と視線こそが、作品からあらゆる意味を引き出すのだ。

ホッパーの絵画は平凡なものを求めていた。ホッパーは私たちが見落とすような平凡な場所を選び出し、隔離する。そしてホッパーにとらえられることにより、すべての事象が欠落したある瞬間、ある場所は謎に満ちたものへと変貌する。

空間は共鳴し、前進と後退の間で躊躇する動作は、運命の曖昧さに縛られている。

否定的なものは豊かで肯定的なものへと微妙に変化していく。空虚は感動で埋まり、はかないものは恒久的となり、恒久的なものは一時的なものとなる。

現実の平凡さと無意味さとにはだまされやすいのであるが、現実はそうした現実に関心を向けることを求め、また鋭く冷厳に浸透してくるのである。
 ホッパーのリアリズムは、自然に相対した時に湧き出る感動から生まれてくるものであるが、自然の模倣ではない。

 ◉ホッパーのリアリズムは、存在と事物の永遠の分離から生まれている。

内面の孤独は苦悩や苦痛を生むのではなく、瞑想と深化をもたらすものとされた。

ホッパーが示す人間の孤独は単なる社会的なものではない。ホッパーにおいては孤独はしばしば放棄であり、懊悩であり、亡命であった。

表面的な空虚は実は飽和状態なのてあり、その飽和状態がやがて姿を現わすことを待っている状態にあるのだ。それゆえに私たちは、ホッパーの示すものが言葉以前の世界であるような印象を受けるのだ。

ホッパーにとって絵画とは、否定と肯定の中間地帯にある。

「主題に対する私自身の内面的な反応をカンヴァス上に表現することが、私が絵を描く目的である。私がある主題を選ぶとき、どうしてその主題を選ぶのか、私自身にも説明することはできない」。

ホッパーがアメリカを鋭く見ることができたのは、ヨーロッパから距離をおいてアメリカを眺める経験をしたことによる。ヨーロッパから帰ったホッパーにとって、アメリカは混沌とした醜いところであった。

ホッパーは文明の刻印(家、道、線路、信号など)をわずかに侵入してくる自然と対峙させている。ひとつの絵画のなかで自然と文明は森は家と同じく半透明であり、輪郭線がその形を支えており、人間と敵対している。森と人間はお互いに疎外しあっている。ひとつの絵画のなかで自然と文明は相互に睨み合い、補完しあう。絵を見るものは、ある時は引き寄せられ、ある時は押し返される。

◉二つの世界の間に

フロンティアとは、常に険しいところで、人の住む世界と自然とが境目なく、しかし並立状態にある場所である。

開かれているものは希望であり、閉ざされているものは拒絶である。

◉内部と外部を同時に見ることの意味するもの

ホッパーは後に登場する近代絵画ポップ・アートを先取りしている。しかしポップ・アートが、批判であると同時に喜びの表現としてこれらの記号を使ったのとは異なり、ホッパーは純粋な客観性をもってそれらを絵に取り入れて たのであった。

「あらゆる芸術のはじめと終わりは、自分の周囲の世界を複製することである」
ゲーテ

光と絵画

ホッパーの総画はすべて、その中心の重要な位置に光がある。光はホッパーの絵画に一貫性を与えている。ホッパーが絵のなかに描きこむ貧相な人物と,光の役割とはまったく異なるものである。◉貧相な人物はほとんど偶然にそこに居合わせているかのようである。ホッパーはその人物に個性を与えない。なぜならばホッパーにとって人物は物体にすぎないからである。人物の役割は、回答のない問いかけ、あるいは曖昧なエロティシズムによって画面を混乱させることである。また人物の存在は物の家族的雰囲気を生むような絵のテーマや構造とも無関係である。ホッパーの絵はアメリカ、町、そして人間性破壊に関する巨大な一覧図なのである。
 光を描くことがホッパーの最終的な目的であった。死の直前、ホッパーは自分自身を印象派であると考えていたと語り、描きたかったのは家の壁に当たっている太陽の光だったと述べている。この言葉は絵画技術についてというよりは、感傷的なものであろうが,ホッパーの仕事の本質がどこにあるのかを語っている。
 光は物体を溶かすのではなく、物体を形づくる。《ブルックリンの部屋》《朝の太陽》《陽を浴びる女》(1961)やその他の作品は、登場人物の逸話性を越えたものであり、影と明るさが織り成すドラマである。光の斑点。ペンキの塗られた壁に穿たれた窓、魅力的な空間、これらにすべてが集約されている。そして絵画のすべての意味はその空間に集中し、その空間を漂っている。
 触知されうる物質でありながら同時に非物質であるこの斑点は、実際、あらゆる絵画にとって問題である。ここには絵画の内在性と超越性の問題が横たわっているからである。つまり感覚できる存在について,その存在自体を経験しながら疑わなくてはならない,ということであり、何ものかを盗み去ると同時に与える、ということなのである。そこにある踏み越えられない敷居を、生まれつきのペシミストであるにもかかわらず,ホッパーは常に踏み越えようとする。晩年の作品《海際の部屋》、《空の部屋に射す陽光》ではまったく人間は登場せず、感動的である。とくに後者の作品では、光は絵画と内面性のメタファーとなっている。
 光がつくる平行四辺形は、それ自体が物体である。純粋なモノクロームの物質であり、確かなものでありながら同時に謎に満ちている。視覚と心の瞑想の空間であり、そこにはあらゆることを映し出すことが可能である。画家はそこに飽くことなき探求を繰り広げ、絵を見るものは、画家の残した痕跡にしたがって、満たされることのない欲望をそこで体験する。そこでは気づかぬうちに啓示が行なわれ、救済されぬ霊魂が介入する。存在と不在、内部と外部。崇高と平凡が同じ光のなかにある。自然の要素と、心理的な要素とが複雑にからみあうなかで、ホッパーは何もない部屋の壁の片隅で砕けている光に、絵画のドラマを浮き立たせる。
 《空の部屋に射す陽光》では何を表現しようとしたのか。と尋ねたブライアン・オドハティーにホッパーはいみじくも「私自身だ」と答えている。光は物事をあらわにし、問いを投げかけ,全生をつうじて求めてきたものを昇華させる。絵画は目に見えるものである以上に、単純な現実を越えた真実であるとホッパーは考える。
 最後の15年間の作品では、構造は明快な幾何学性を増す。副次的かつ表面的な細部はすべて削られ、形態の組合せはいっそう複雑となる。またマティエールはさらに繊細になり、より透明となった。一方で、光と肉体はお互いに密度を増しながら呼応している。作品からは妥協が排除され,作品はいっそう大胆なものと
なった。絵画は強度を増し,存在の終焉を表わすようになる。そして絵画はまた死との戦いでもある。1964年,病気のためにホッパーは制作ができなくなった。この年ホイットニー美術館は新たに回顧展を開催した。翌65年にはホッパーは2点の作品を制作している。この年は彼の姉が死んだ年であるが,この2点の作品はホッパーの遺言となった。ひとつは《チェア・カー》という作品で、列車のなかの乗客を描いたものである。乗客たちは無口で物思いにふけっており,ギリシア神話のカロンの小舟を思わせる。もうひとつは《二人のコメディアン》である。これは最後の別れの挨拶である。暗い舞台の上で,二人のパントマイム役者,ピエロとコロンビーヌが、誰もいない観客席に向かって挨拶している。彼らが挨拶しているのは絵を見ている私たちに対してなのだ。これはホッパー夫妻が,熱狂と騒音に満ちた劇場である人間世界から身を引く挨拶である。劇場は芸術と人生のメタファーである。ホッパーはピエロの顔立ちに最後の尊敬の気持ちを表現した。それは幼いころお芝居ごっこをして遊んだ姉マリアンへの敬意なのであろうか、それとも老いて病気である自分の死が近いことを感じてのことなのだろうか。
 すでに1914年には《青い夜》で、ついで1917年から1920年にかけて制作されたグワッシュ《舞台の上の二人》で、コメディアン、またはピエロに扮した自分自身の肖像を描いている。ワトー、ルオー、ピカソやその他の画家も同じように自身の肖像をピエロとして描いている。ホッパーは最後の作品《二人のコメディアン》で、人工的で演劇的な演出をさらに強調している。作品のフレーミングは舞台のフレーミングとまったく同一であり、舞台の奥は深い闇に包まれ、奥行をうかがうことを拒絶し、白い衣装の人物の悲劇性を強調している。唯一の装飾的要素が木であることは、驚くに値しない。ホッパーはある晩,友人のブライアン・オドハティーに「夜になると木が造り物のように見えることを知っているかい。夜、木を見ると、劇のことを思い浮かべるんだ」と語ったことがあるからだ。ホッパーは劇的な状況を作り出すと同時に、距離を生み出す。ピエロもまた生と死のメッセンジャーという多義性をもっていないだろうか。
 『軽業としての芸術家の肖像』でジャン・スタロビンスキーは「芸術の崇高さと芸術家の栄光は、底知れぬ深淵を背景に成立している。芸術は、単に人びとに挨拶するためのものではなく、墓の緑で繰り広げられる崇高なパントマイムである。そしてそれはほんの一瞬だけ、その淵の恐ろしさを隠すのである」と記している。それから2年後の1967年5月15日,ホッパーはアトリ上で息をひきとった。ジョゼフィンは作品をホイットニー美術館に寄贈し、1年もたたないうちに夫のあとを追った。
 ホッパーの残した作品はアメリカの肖像である。ジャン・ボードリアールは、アメリカの物質的な側面について「その定義は絶対的である。そのフロンティアは入門者に不可欠であり、その稜線は尖っており、輪郭は残酷である。それは傲慢に押しつけられた必然性の記号の場であるが、そこには意味は存在せず、任意で非人間的である。そして人はその記号を解読することなく通りすぎる」と描述している(「アメリカ」1986)。そして神話的なアメリカ、文学と映画のアメリカに、ヨーロッパの人間は過敏に反応する。ホッパーは質問するものに対し、「すべての答は絵にある」と言うのが常であった。それはノスタルジーへの誘惑でもなく鏡を覗き込む誘惑でもない、目に見えるものとの対話を求めることなのだ。
目に見えるものとの対話。なぜならば、ホッパーがしたこととは、幻影的なアメリカの概念的な肖像を、アトリエにこもって描くことであり、ホッパーが練り上げた像には、多くの提案と豊かな意味が含まれているからである。つまり、その像は対話によって導き出されなくてはならないのである。その反面、物語性は最後までまったく微小な役割しか与えられなかった。
 ホッパーは絵画が演劇と同じく造り物であり、再構成したものであること。そしてなによりも主観的な要素を演出したものであることをあえて隠そうとしなかった。ホッパーの作品に登場する人物に私たちが見る孤独感は、多くの場合私たち自身の孤独感なのである。

見せかけは単純で親しみやすい作品

それは奇妙な作品であり、中に入っていくことのできない作品なのである。私たちの眼下にある微妙にねじまげられた矛盾する空間では、私たちは途中で足止めを食う。私たちは時間と空間を把握することを書きれ、欲望にも似た緊張感を抱かせられる。引きつけられながら押し返されることにより、感情はアンビヴァレンスに陥る。そして非事実は事実となる。幻影の劇場における真の役者とは光である。すなわち明るさで飽和された広々とした多面体こそが、絵画のうち震える真実であり、絵画の深淵なのである。それは存在と不在を話り、絵画に内面的な性格を与え、絵画自身のメタファーとなる。
 「私にとって人間は別世界の存在であると思っている。私が描こうとしたのは,人びとの苦り切った顔や人びとが動いている様子ではない。私がほんとうに描こうとしたのは、家のファサードに当たる太陽の光だ」。
 ホッパーが求めたことは、リアリズムや印象派とは異なり、光を絵画の本質そのものとすることであった。それは自然と関わるうとしてきたアメリカの伝統ーーその創始者はルミニズムの画家たちである一ーにのっとっている。しかしそれは抽象表現主義の画家たちの形而上的思考と、さほどかけ離れているものでもない。20世紀アメリカ美術の両雄ジャクソン・ポロックとエドワード・ホッパーは、実は、光と絵画を芸術の基礎とする同一の価値観のふたつの解釈にすぎないのである。

1 パリの橋 1906

このような作品は、都市の標識や物質文明、消費文明の広告を描いた1960年代のポップアートの先駆的作品と解することもできる。しかしホッパーの意図は意識的なものでもなく批評的なかった。偶然の視線が非選択的に都市の死角、意味のない断片に向けられたのである。隅の壁とポン=ヌフ橋のたもとの提が、ここでは中心のずれたパースペクティヴを生み出している。

3 ビストロ(ワイン屋) 1909

ホッパーは対象を見ながら絵を描くより、アトリエで絵を構成することを好んだ。

アンバランスな空間から甘美なノスタルジーと非現実感が漂ってくる。

話に夢中のカップルは二つの世界の境界にいて、二つの世界を繋ぐ役目を負っている。二つの世界とは、人の住む暗い世界と、光に目も眩む自然界である。ホッパーは客観的現実よりも内的な印象を表現しようとしていた。

6 夜の影 1921

ロバート・ヘンリは生徒たちに、偉大な芸術とは「夜の感覚を表現するものである」と言っていた。

監視しているものとは、この絵を見ている私たちなのか。

9 階段 1923

階段の延長にある森を正面から見据えている構図は、八方塞がりの空間を暗示する。構図はパースペクティヴを予測させながら、絵を見るものは侵入することのできない自然に最後は視線をはばまれる。開かれたドアはもはや内部と外部を結ぶ経路ではなく、二つの「どこでもない」場所を結ぶ絆なのだ。

13 セルフポートレート 1926-1930

表に出掛ける前の一瞬の静止。そして鏡に映った世界の化粧シリーズでちゃんと入ってんだよね。何かもらんでも並ぶような感じが並んでると、やっぱりホッパーのなされてないんだと思うます。英語圏ではあると思うけど、自分を見る。視線はいずれか見えぬ点に向けられていて、絵を見るものの視線とはあわない。 
 この状況が少しばかりの距離感とアイロニーを提示しているとするならば、ホッパーままたランボーのように「私は、他人」であることを確認しているのではないだろうか。基本的な探究とは自己を織ることである。

不況さと困惑を隠そうとしている慎ましい心をもった者の見せる躊躇

15 夜の窓 1928

ホッパーは、外部と内部を結合させる要素をもってくることにより、内面性に目を向けてさせる。それはファザードに広がる反射光であり、風にはためくカーテンである。

17 線路沿いの日没 1929

ホッパーの視線は文明から離れ、無垢の自然を提案しているのである。

ホッパーにとって人間と自然の融合は、危ういものであるにしても、まだ可能であった。後にホッパーは、閉ざされた世界を示すのみとなる。そこは征服すべき新たなフロンティアはない。ただ唯一彼自身の内面にあるものがすべてとなるのであった。

18 早朝の日曜日 1930

ホッパーは当時「7番街の直訳的記述」をしたのだ、と明言している。

実際に日曜日の朝のことだろうと憂鬱な日常の繰り返しのなかのひとこまであろうと、ここに切り開かれた空間は、なにも起こらない空間、待ちの空間である。

20 床屋 1931

 この作品に描かれている時計は後戻りできない時間をあらわしているのではなく、どちらかと言えば、時間の停止を表わしている。
 文字盤は太陽の光で半分に切られ、時間を読み取ることができない。

3人の人物はそれぞれ没交渉である。そしてそれぞれの現実は、光が浮き立たせている部屋の建築のなかで霧散している。

21 ホテルの部屋 1931

◉ジャン・パリは、このデルフトの画家フェルメールについて「ある一瞬が、現在と過去、内部と外部、意識と夢想の境界をすべて消去する」と述べている。(『眠り』1973年)。ホッパー自身は「絵は時間の流れのなかでは一瞬である。その一瞬は最大の洞察力をこめて停止され、実現されたものである」と言っている。

フェルメールにおいて静かな孤独であったものが、ホッパーにおいては不可避的な実存の孤独となっている。

22 ニューヨークの室内 1932

男は肘掛け椅子、新聞を読むことに集中しようとしており、もう一方では斜めに腰掛けた女性が、一本の指でピアノの鍵盤を投げ遣りに叩いている。その背後には一様に照らしだされた壁、重い木のドアがある。このドアは幅が広く背も高く、意思の疎通のない二人を閉じこめる封印となっている。

23 ブルックリンの部屋 1932

◉光がこの絵の諸要素を結びつけ、それぞれにボリュームと生命を与えるのである。光は沈黙した空気を震わし、内省的な色彩を与える。それは心理的空間の視覚的投影であり、内面と瞑想のメタファーである。
 絵を見るものの心次第で、光は豊かになり、想像、夢想、創造にみずからを開いているものとなり、またその反対に、光は貧しく陰惨で、すべてが行き詰まったどんよりと淀んだ世界のイメージともなるのである。

24 夕闇の家 1935

この作品の眺めは平凡で偶然のように思える。これが映画ならば、次の場面で、女性の影がちらつく窓へクローズ・アップするところである。しかしここでは次の場面展開はない。そこで私たちは未完成感、少しばかりの奇妙な期待感を感じとるのである。それがホッパーのすべての絵の特徴である。フレーミングもその表われのひとつにすぎないが、もっとも具体的である。
 自然光と人工光が混在する日没時をホッパーはとらえた。窓や街灯にはすでに灯がともっているが、太陽の青白い光はかすかに空に残っている。
 二つの光の間で森はすでに暗く厚く、夜の近いことを告げる。

25 ニューヨークの映画館 1939

左側は幻影の世界であり、右側は意識の世界なのだろうか。

芸術自身のメタファー、目に見えないものが存在しつづけることを示すこと

それは肉体的であると同時に精神的な内面性の広大なメタファーであるのか。

28 ガソリスタンド 1940

ホッパーは動きを鈍らせ、空間を不動のものとし、時間の概念を消去し、光景をまったく静かな沈黙で満たしてしまった。

意識もまた凝固し、目に見える世界もその意味を失っているかのようである。

29 夜のオフィス 1940

ホッパーが絵画に与えている緊張感は、ここでは夜遅い時間にオフィスに残っている二人の、やや曖昧な関係に具現されている。物語の要素は揃っているが、ホッパーはことを明らかにすることを控えている。自分自身で強調しているように、ホッパーにとって「絵画はある程度以上のことを語ってはいけない。絵画が逸話を語ることがないことを望んでいる。なせならばいかなる逸話も意図されたものではないからである」。

言葉以前の混乱の世界である。

31 夜の散歩者 1942

ジェラール・ゲガンは叙情的にこう述べている。「エドワード・ホッパーは真実のアメリカである。茶色いアメリカ、黄色いアメリカ、不安な夜を照らし出す青い電気のアメリカ、ホッパーはそこから派生してきた世紀の画家である。将来のある日、人はホッパー、ハメット、ヒッチコックによってアメリカを旅行する」。

32 ペンシルヴァニアでの夜明け 1942

黎明は奇妙な不安感のなかで現実を凍結し、解読不可能な意味を現実に付与する。意識は停止して、その現実を把握しようとするのである。

34 孤独 1944

「ホッパーの風景画は夢・脅迫というよりは、放棄・現実である」。

アメリカの平凡な風景、しかしそれはホッパーによって操作され、力を抜きとられてしまっている。

ホッパーは、魂の状態、または自然の時間に応じて、場のリアリティーを再構成する。

「息苦しい正午から、不気味な夜中にいたるまでの時間ごとの変化は、異なった精神状態に対応し、その裏付けとなっている」。

35 旅行者の部屋 1945

ホッパーの描く昼間の家は、内部を想像させてはくれない。

37 午前7時 1948

色彩を乱暴に併置することによって、超現実的効果が生まれ、人間は結局、両方の世界から排除されていることを感じさせる。

ホッパーはリアリズムを越えた幻覚空間を現出させた。その空間には宙に浮いた疑問がつまっている。

38 コッド岬の朝 1950

作品の表面的な客観性とは実際のところ、神秘性と魅力を守るための、ときには苦悩にまでいたる一種の不在のなかに、存在を吸収してしまうという、もっとも初歩的な防衛線であるにすぎない、ということなのだ。

39 海辺の部屋 1951

本質は内部と外部の関係、光が空間をいかに占有し、空間を創出するか、というところにあった。ストーリー性とエロティックな要素は、それまでも厳しく制限されてきたが、やがて余計なものとしてみずから姿を消していった。

画家は非物質的な要素である光を、強固な構造のなかに閉じこめようとしている。光は真の内的振動によって拡散し、同時にこの絵に安定感を与えている。

部屋は二重の意味で心理的空間の換喩である。
記憶の意識の像であり、内面的で先験的な光の面は、思考と瞑想する意識が物質化したものである。

42 小都市のオフィス 1953

ホッパーはほとんど強迫観念的といえるほどものごとに固執する。また経験と想像力のはたらきによって、再構成を永遠に繰り返す。この固執性と反復性とがまれに見る結合を果たし、1910年代の自身のイラストの題材であった事務員をここで再び描くことができたのである。1953年のこの作品では、事務員は形而上学的な存在である。

ハーマン・メルヴィルの短篇『書記バートルビー』

44 カフェテリアの太陽 1958

窓と、論理的には存在すると思われる窓ガラスは、存在、不在の関係にあり、全体の空間の曖昧さを生み出している。

ホッパーはこうして故意に不確定な空間を構成する。そして変化の瞬間、重い潜在力を秘めた、ある状態から別の状態への通過を強調するのである。

光は、また同時に、欲望を動作に変換させることの不能性と疎外とを強調する。

45 二階を照らす太陽の光 1960

「私は現実主義者であり、自然現象に反応する。」

「一枚の絵は唯一の考えや衝撃から成るものではなく、いくつもの要素から生まれる」

瞑想の空間、凝視の空間は、ドラマティックというよりは叙情的な方法によって、内面性についてのホッパーの神話のメタファーとなっている。

46 太陽のなかの女 1962

光はエネルギーの源であり、存在はそれらに向かって待機し、問いを発する。

光はわざとらしい雰囲気を生む。そしてホッパーはそれと戦うのではなく、かえって増大させる。

47 空の部屋に射す陽光 1963

人のいない部屋、人を排除した部屋、家具も人も、今片づけられた、という印象を受ける。

ホッパーはこの作品が、存在に関する哲学的疑問についての回答となることを望んだ。部屋に向ける対象が誰もいない時、そこに何が存在するのか、という疑問である。

「私はいつも空の部屋に興味を抱いていた。」

「窓は陰であり、表の木は陽である。両者がそこで対立している。バランスを見つけることは難しい。内と外を同時に描くことは難しい。」

ホッパーは光を生きた現実とすると同時に、内面性の反映とした。直観の対象である光は、アメリカにつきまとっていた崇高なヴィジョンに開かれている。

しかしバーネット・ニューマン、マーク・ロスコが非具象を通じて求めたものは、また、ホッパーが感性に満ちた世界に対する問いかけによって到達した境地でもあった。

48 チェア・カー 1965

ホッパーの絵を前にして感じる孤独は、私たちがその絵を見る者である、という状況から生じるものである。この曖昧さはホッパーが望んだものであり、私たちを不確かなバランスのなかに置き続ける。この世界は親しみやすく理解しやすいが、実際のところ,深いところでは未知であり、入っていくことのできない世界なのだ。
 ホッパーは絵を見る者を、気の滅入るような魔法によって、石のように凝結させてしまうことが驚くほど上手である。なにかが起きても起きなくても変わらない。一時的なことは恒久的となるが、私たちが死すべき運命にあることの記憶は残る。状況に補され、緑取られた私たちは,生命の短さに気づく。《チェア・カー》の孤独は、その反映である。1965年に描かれたこの作品は、ホッパーの絵画の遺言であると言えよう。この絵を描く数年前,友人のブライアン・オドハティーに死の恐怖を語っている。ここに描かれているのは最後の旅である。憂鬱な青い客車のなかに光の平行四辺形が並んでいる。平行四辺形の両側には椅子、窓,天井の斜め線がある。平行四辺形の列は閉じられたドアまで達している。そこで視線は止まる。なにも装飾のない空間で、我を忘れて匿名の思考に耽っている乗客たちは、目的地を知らない旅の途次にある。半透明の窓から見えるものは何もない。

『ホッパー|岩波 世界の巨匠』ローランス・デベック=ミシェル 清水敏男/訳