第3節 偶然性と合目的性
必然的なものは普遍的なものである、あるいは普遍的なものを保証するものであるという。カントいわく、「現働的なものとの整合性が、経験の普遍的なものを保証するものであるという」。
偶然性は、ただ様相の一範疇とだけ理解しては、必然性と対置された、数多くの可能性のうちの一つでしかないものになってしまう。われわれの意図は、偶然性の概念を様相論理学を超えて拡大することにある。
運動とは何か。或る物が或る位置から別の位置まで運動するというとき、それが意味しているのは或る出来事が時間と空間の中で起こるということである。
何ものも理由なしには存在しない。偶然性はあらゆる運動の中に実存しており、そして異なる運動の類型ごとに異なる意味をもつ。
一. 偶然性は予想外なものなのである。
二. プログラムが停止するかどうかは、目標に到達したかどうかを判定する規順により決定される。偶然性はシステムの性能を改良するために要求される。
三. 非線形の運動で、自己目的をもつもの(A→B→C→A)。つまりこれは目標があらじめ定義されていない。偶然の出来事に即して方向を変化させるのである。たとえば有機的なものの進化がそれである。自己目的性が意味するのは、その結果がまだ完全に定められてはいないということにほかならない。目的そのものまで状況次第なのである。
弁証法とはまずもって非線形の運動であり、そして絶対者に向けて前進するには自由を肯定してただの形式に堕することを回避するために偶然性が必要とされているからである。偶然性がシステムには必然性となるのである。
偶然性は、偶然が必然になるのでなければ、システムを産出することはない。
再帰とは、みずからのテロスを実現するべく、みずからの機能の内へと偶然性を発生させてゆく。
失敗が訪れるのは、再帰的な形式がその整合性を発生させられないときである。
つまり現働的でも潜勢的でもなく、いわば所産的自然なき能産的自然のごとき、非存在なのである。
第4節 機械論と生気論を超えて
「細胞とは、物の名前ではなく、組織化の類型の名前である」。
ウィナーがいうように情報は物質でもエネルギーでもない。実際、情報と物質とエネルギーは新たな個体化の理論の三要素となっている。
シドモンドの情報への迫り方は、情報をより一般的な概念にする。すなわち意味作用である。やってくる信号がシステムにとっての意味作用を産出するとき、それは情報をもたらすのである。
ベイトソンにとっての情報とは「差異をつくる差異」である。ベイトソンは再帰の思想家の一人である。
情報は「差異をつくる差異」であるからには、作動的で自己準拠的である。情報はシドモンドが個体化と呼ぶシステムの作動を誘発し促進する。あらゆる情報が、そして情報だけが、個体化を導くわけではない。情報は物質やエネルギーと並ぶ諸条件の一つにすぎないからである。
さらに踏み込むなら、情報なしでは現代の個体化の理論は不可能であるとまでいえる。たしかに、いろいろな個体化の理論がそれぞれの時代に支配的な認識論に則して提案されてきた。
新たな認識論的条件は、個体化についての新たな見方を提供するものである。
シドモンドの個体化の理論では、意味作用は偶然性にしたがう。
『再帰性と偶然性』ユク・ホイ/著、原島大輔/訳より抜粋し流用。