第二章 科学の否定とポストトゥルース
事実が変わったら、わたしは考えを変えます。あなたたらどうしますか?ーージョン・メイヤード・ケインズ
たとえそれがどんなに厳しく審査されたとしても、理論は「理論でしかない」。
科学者は、ある点においては、自分たちのもっとも有力な説明でさえ真実として提示することはできず、所与のエビデンスによる正当化にもとづいた信念だけを強く保証するにすぎないと認める必要があるということだ。
「疑いがわたしたちの商品なのです」
気候変動とその果てに
なぜ気候変動が現実のものであるかどうかだけでなく、気候変動について科学者が同意に達しているかどうかについても、これほど広範囲にわたる大衆の混乱があるのだろうか?それは気候変動を促進することで金銭的な利益を得る人々によって、ここ二〇年にわたって臆面もなくそうした疑いが作りだされてきたからである。
次のとき勝利が達成される
いまやメディアは、どんな「論争中の」科学的論点についても、反射的に「話の両面」を提示するように訓練を受けている。その結果、大衆は混乱しままである。
ポストトゥルースとの関係
自分の立場を支える事実を選択して使用することと、そうでない事実を完全に拒絶することが、新たなるポストトゥルース的現実を生み出す本質的な要素であるように思える。
事実と真実を大切にする人々にとっては信じられないことのようだが、政治的な成果を成し遂げたいと思っている人々が、事実と真実を大切にすることに政治的な対価を払わずに、自分の足跡を隠すことに思い悩むのはなぜだろうか?
ある人物の支持者が、エビデンスが語っていることよりも自分がどちらの側にいるかを気にかけているなら、まさしく事実は意見に従属するかもしれない。
『ポストトゥルース 』リー・マッキンタイア/著、大橋 完太郎/監修、居村 匠・大﨑 智史・西橋 卓也/訳より抜粋し流用。
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