mitsuhiro yamagiwa

2022-05-02

ディープ・リスリング

テーマ:notebook

第一章 「何もない」ということ

 私たちは無用の言葉によって、さらには途轍もない量の言葉と映像によって責めさいなまれている。愚劣さはけっして口をつぐもうとしなかったし、目をとじようともしなかったのだ。そこで問題になってくるのは、もはや人びとに考えを述べてもらうことではなく、孤独と沈黙の気泡をととのえてやり、そこではじめて言うべきことを見出せるように手助けしてやることなのだ。

 「『聞こえる』とは、知覚を可能にする物理的手段だ。『聞く』とは、音として感知されたもの、心理的に感知されたもの両方に注意を向けることだ」

 目覚めている時間のすべてが生計を立てるための時間と同一になる状況において、自分の余暇さえもフェイスブックやインスタグラムの「いいね!」の数で評価するために差し出し、その成果を株価チェックするかのごとくつねに気にして、自分の個人ブランドが成長するようすを監視する暮らしを続けるうちに、なんでもないことに時間を費やすのは正当化できなくなり、時間はすべて経済資源となる。

 「何もしない」とは、ある意味て洗脳を解く装置であり、バラバラになってまともに機能しなくなったさまざまな感情に滋養を与えるものだ。このレベルで「何もしない」を実践すると、注意経済に抵抗するためのツールがいくつか手に入る。

 「何もしない」を実践すると手に入る二番目のツールが、研ぎ澄まされた聞く力だ。

 「何もしない」とは、そこに存在するものを知覚するために、動かずにじっとしているということだ。

『 何もしない 』ジェニー・オデル/著、竹内要江/訳より抜粋し流用。

https://www.youtube.com/watch?v=T8Js7KmCssc